【第13話】追憶の日記 -前編-

オリジナル小説作品
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人生は一度きりだ。やり直したいと思うことも、これで良かったと思うことも、人の数だけ思いは存在する。やり直しが出来ないからこそ、人はその一瞬一瞬を精いっぱい生きようとするのだ。その積み重ねの末最期を迎えた時に、殆どの場合は全てが美化され、人生という名の大叙情詩が完成し幕を閉じる。

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白い壁が揺れる時

心電図の波形が弱弱しく波打っていたが、次第にその間隔が開き始めた。落ち着いた表情で対応する医師や看護師が取り囲む中、患者はもう虫の息だった。

『原田さん!?原田さん!聞こえますか?』

看護師の一人が患者の原田 千鶴(はらだ ちづる)に呼び掛けながら、首筋に近い肩のあたりをさすった。患者は反応しなかったが、人工呼吸器によって辛うじてその命の灯火を揺らしていたのだ。

76歳になるこの患者は、糖尿病やほかの病気を併発していた。3日前に入院したが、それまで自宅で一人病に侵されながら暮らしていた。何故入院することになったかというと、電話も出来ず苦しみながら玄関から這い出たところを近所の人の目に偶然見つけられ救急車で運び込まれてきたのだ。

緊急搬送された時点で、千鶴は意識が朦朧としていた。その朦朧とする意識の中で、千鶴はあることを考えていたーーー

時は遡り、千鶴がもうすぐ還暦という頃、娘の原田 舞(はらだ まい)が心療内科の病院から2年の治療を乗り越えて帰宅できることになった。学生時代に受けたいじめが原因で精神を病んでしまい、不登校で自宅に引きこもっていた16歳の冬の終わりに、たまたま出かけたコンビニの前で発狂していたところを保護され、その後心療内科へ入院することとなった。

舞は小学生の頃に授業中にお漏らしをしてしまった経験があり、そのことをクラスメイトにからかわれて一時的に小学校1年の時に不登校になるが、その後は学校側の配慮もあり登校を再開、小学校は無事に卒業式を迎えることが出来た。友達が多いほうではなかったが、周りに合わせて行動する控えめな性格で、容姿は非常に綺麗な顔立ちをしていたため、舞に対して恨みを抱く者はいなかった。

しかし、中学校に進学した年の9月の中旬、突然舞へのいじめが再開した。同じ学区内だった同級生が、夏休みにカラオケで遊んでいた際に小学生の時の話になり、『そう言えば』という何気ない会話の中で、舞の知られたくないお漏らしの経験をその場にいた5、6人に吹聴してしまったのだ。その話をした同級生は悪気はなかったが、端正な顔立ちの舞から想像もできない無邪気なゴシップネタに、その場にいたメンバーは食いついて、夏休みが開けると瞬く間に学年中の噂にまで拡大していった。

最初はからかわれる程度だった為舞も何とか見て見ぬふりをしていたが、次第にそれが『いじめ』へと変容していくまでに時間はかからなかった。女子トイレに入った舞の後をつけて、わざと『なんか臭くない?お漏らしの匂いがしない?』などと悪口を言ったり、『お漏らしをしたら自分で片付けましょう』という手紙と共に大量の雑巾を机に入れられたりと、多感な中学生の舞にとっては学校での居場所がなくなっていった。不登校になった舞は自宅へ引きこもるようになり、中学高校と自宅と近所の買い物くらいしか外に出ない生活が続くようになった。

舞が16歳の時にコンビニ前で保護された時は、ちょうどその中学時代に同じクラスメイトだった同級生とたまたま出会い、相手は『原田さん?』と声を掛けただけだったが、舞はいじめの記憶がフラッシュバックしてしまい錯乱して喚き散らしていたところを近所の交番の警察官が保護したという。それほどまでに、舞の心は小学生時代の授業中のお漏らしの経験と、それを揶揄された中学生時代の記憶がトラウマになっているのだった。

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舞が書いた日記

『躁鬱病』と『パニック障害』の併発診断を受けた舞は、17歳と18歳の誕生日を心療内科の病院のベッドで過ごした。本来であれば年頃の娘が、パニックを起こして自分の髪の毛を引き千切り頭皮から出血した事があったため、本人の同意も得たうえで坊主頭にしていた。えくぼがチャームポイントの美少女だった舞は、痩せこけて目は虚ろな別人のような外見になってしまった。

しかし、本人の努力と心療内科スタッフの治療のおかげで舞は徐々にではあるが回復していった。最初は服薬を併用していたが、次第に薬の量も減りついにはカウンセリングのみで日常生活をこなせるほど回復していた。心療内科のスタッフ同行の元、軽作業のアルバイトも出来るほどに回復したため、いよいよ舞が退院できる日が来た。2年という10代の少女にとっては非常に長い期間共に過ごしていた心療内科のスタッフとは心の交流が生まれ、退院する日のタクシーに乗る舞の姿をスタッフは涙目になりながら笑顔で見送った。

舞が自宅へと戻り、通院でカウンセリングを受けながら普段の生活を送るようになったある日、宅配便で荷物が届いた。宅配ドライバーは軽々と荷物を渡してきたが、受け取った千鶴は片手で受け取ったが意外に重く、段ボールに何やらたくさん詰められているようだった。荷物を持ちながら受け取りのサインをするのは大変だったが、舞は自室で寝ていたので千鶴は起こさないようにと声を掛けなかった。

送り主を見てみると、舞が入院していた心療内科からだった。同封されていた手紙を読んでみると、どうやら舞が入院中につけていた日記が病室のクローゼットから出てきたらしい。大学ノートにしっかりと自分の名前を書いた舞の日記ノートは実に13冊にもなったという。クローゼットの中にあったという事と、プライバシーの観点から内容は見ていないので分からないが、本人に確認して処分するか保管するかして欲しいという事だった。

ノートには全て通し番号が付けられており、千鶴は1番のノートを手に取って読んでみた。

1999年3月5日

コンビニで暴れたらしい。正直覚えてない。警察に捕まれた腕が痛い。

1999年5月29日

鎮静剤を打たれた。

1999年6月18日

今日は随分気分が良い。昨日の薬が効いてるかも。先生も順調って言ってる。看護師さんと見てたテレビで、ノストラダムスがどうとか言ってた。あれって呪いだっけ?予言だっけ?

それは、舞が入院してからつけていたと思われる日記だった。千鶴は舞が入院してからというもの、心療内科でどのように過ごしていたのか知らなかったため、興味をそそられ、悪いとは思いながらも、娘がどのような心境でこの2年を過ごしてきたのか知りたいと思い段ボールの前に腰を下ろした。

1999年7月30日

ノストラダムスの大予言は外れたってテレビで言ってた。まぁ、どっちでもいいけど。それより、春に始まったiモードの方が私は気になる。あれって何が出来るんだろう?先生に聞いても分からないって言われた。やっぱりおじさんはダメだね(笑)

あと、事務の叔母さんが2000年問題が大変とか言ってた。何が大変なのか私には分からない。

1999年8月9日

今日は暑くて気分が悪い。それに昨日のカウンセリングで思い出したくない中学の話をしなきゃいけなかった。夜にむしゃくしゃしてリスカしたらスタッフが飛んできた。もう何でもいいや。だって、思い出したくない事を思い出さなきゃいけないなんて誰だって嫌でしょ?治療のためだとか言ってるけど、全然よくなってる気がしない。ていうか、絶対許さないし。

舞の日記は日によって感情の起伏が激しく、いじめの話になると途端に文字が乱雑になっていた。中学時代のいじめの話は舞から相談を受けなかった千鶴にとっては、初めて知る娘の胸の内に心が痛んだ。

1999年8月25日

中学1年の運動会前の時の話を先生に話した。あたしがプールの授業から戻って着替えようとしたらパンツが無かった。正直またかと思ったけど、背中越しにケラケラ笑っている声が聞こえたから振り返ると、真紀子と千恵美と沙也加がこっちを見て笑っていた。真紀子の手にはあたしのパンツがあった。『どうせ漏らしちゃうならパンツ要らないよね?』って言いながら、目の前で家庭科の裁ちバサミで切り刻まれた。しょうがないからノーパンで午後の授業は受けてたけど、5時間目が終わった時に拓也が声を掛けてきた。返事をしたら、膝を折ってあたしの耳元で『今日お前ノーパンなんだろ?一回ヤらせてくれよ』って言われた。マジ最悪。拓也の後ろで真紀子と沙也加がこっちを見て笑ってた。

1999年9月12日

最近カウンセリングでいじめの話を聞かれることが多くて疲れる。てか、だいたい何を話しても『大変だったね』って先生は言うばかり。大変なんてもんじゃないよ。死にたくなるよ。なんで生きてるのかわかんないもん。母さんに相談しなかったのだって、結局相談しても何も変わらないと思ったし、事が大きくなるだけだと思ったから。

悲痛ないじめの内容に千鶴は絶句した。

自分が知らなかっただけで、これほどまでに酷いいじめを娘は受けていたのか。自分に相談しなかったのは心配を掛けまいとした娘なりの配慮だったのか。その自分への気遣いで娘の青春を奪ってしまったのだろうか。そう思うと千鶴はいたたまれなくなった。

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止まらなかった暴走

千鶴は舞の日記ノートを読み進めているうちに、もう1時間以上も時間が経っていることを驚いた。しかし、それによって買い物が遅くなることや洗濯機の中に入れっぱなしの洗濯物の事よりも、娘の身に起きた過去をすることの方に今は興味を惹かれていた。

読み進めていくうちに、千鶴は舞のある行動に見なければ良かったと思った。その日記にはこのように書かれていた。

1999年10月13日

今日もカウンセリングが終わった。先生には話はしてないけど、真紀子には復讐してやった。真紀子は拓也と付き合ってたから、だいたい毎日二人で帰っていることはあたしも知ってた。だから、二人っきりになった時を狙ってやった。

マジ嗤えた真紀子と拓也が乗ってたバスを待っている時、真紀子のカバンの中から大音量のAVの音声が流れた。マジ笑えた。学校からバス停までの歩く時間を計算してちょうどいいくらいにダビングしたAVの音声テープを入れて、再生ボタン押した状態のポケットラジカセを真紀子のカバンに入れてやったんだ。しかもそのAVはゲイのビデオだからマジ爆笑した。バス停で盛んなゲイの喘ぎ声が響いて真紀子は赤面してた。拓也に『そんな趣味あるのかよ!』って繋いでた手を振り払われて真紀子泣きべそかいてた。ざまあ。

1999年10月18日

この前書いた真紀子への復讐が可愛いと思えるやつ思い出した。沙也加は金持ちの娘だったから携帯電話持ってた。でもアイツ頭悪いから使い方分からなくて殆ど親としか電話してなかったみたい。学校にも持ってきてたけどロッカーに入れたままだったからこっそり番号を控えて、新宿の繁華街に沙也加の電番を書いた紙を500枚くらいバラまいてやった。次の日から沙也加来なくなっちゃって、聞いた話だとやばい系の人に学校帰り絡まれて4人くらいの男に回されたらしい(笑)

思春期の危うい考えといじめによる傷ついた心によって行われた報復の事実が、そこには淡々と記されていた。いじめによってふさぎ込んでしまっていると思っていた娘が、実は密かにいじめっ子に対して仕返ししていたのかと思うと、千鶴は少し怖いような気もした。

舞は昔から大人しく、自分の意見を主張するような子供ではなく、どちらかというと聞き分けが良くその場を丸く収めようと、周りの意見に従うような性格だと思っていた。それが、自分の知らない間に自我を持ち、自身の決断と考えによって自分の人生を歩んでいた事を、微笑ましく思うと同時に心療内科への入院は、今考えると不幸中の幸いだったのではないかと千鶴は考えた。

そして、4冊目を読み始めた千鶴は、そこに書かれた舞の復讐記録に自分の目を疑った。それは、自分が想像していた娘からは思いもよらない行動で、テレビで報道されるような内容に思えた。そこにはこう書かれていた。

1999年12月21日

心療内科のスタッフと先生と何人かの患者が集まる『忘年会』ってやつに誘われた。簡単な食事とオレンジジュースを出されたけど、やっぱり宅配で届いたピザが一番おいしかった気がする。忘年会だからってことでみんないろんな話をしてたけど、私は忘れたいことよりも忘れないようにしたい話の方が多くて、みんなの話を上の空で聞きながら中学時代の一大計画について思い出してた。

いじめの主犯だった千恵美に復讐しようとした時の話。何を隠そう千恵美はあたしの知られたくない過去を学校中に広めた張本人だから生易しい仕返しなんか考えてなかった。だから入念に計画して、その計画を実行に移そうと思ってた。

千恵美が援助交際してたのは知ってたから、それを餌に千恵美に手紙を出してバラされたくなかったら指示に従えって脅迫した。案の定千恵美はあたしの指示にまんまと乗っかってきた。ある日千恵美を駅の近くにある廃墟ビルに呼び出した。千恵美にはその場所で1時間自分が援助交際しているってことと、いじめをしたことを大声で謝罪しろって言ってあった。人通りなんてないところだから、千恵美もすんなり指示に従うと思ってたから。一人で自分がやったことを大声で叫んでる千恵美を陰で見ているのは本当に笑えた。

でも、あたしの目的は千恵美に恥ずかしい思いをさせるとか無様な事をさせることじゃなかった。重要なのは『どこでそれを叫ぶか』だった。

千恵美には『ビルの屋上の南側の角で叫べ』って指示した。その場所は廃墟ビルの屋上で唯一金網が外れているところで、ビルの下を覗くことが出来る場所だった。あたしは、千恵美がそこで一心不乱に自分の援助交際の事を叫んでいる後ろから近づいて、突き落としてやろうと思った。そう、千恵美をそのまま殺そうと思ってた。でも、思ってただけ。結局できなかった。

あたしが後ろから近づこうとした時に風が吹いて千恵美がふら付いた。その瞬間に千恵美は叫ぶのをやめてしゃがみこんだから、あと少しであたしが後ろにいるのがバレるところだった。絶好の機会を逃したし、もう面倒になったのもあったから、千恵美を放置してそのまま帰った。

千恵美には恥ずかしい思いをさせただけで終っちゃったけど、まぁいいと思ってる。正直、あたしが殺したい相手は他にもいるし、あそこで千恵美を突き飛ばしても、あたしの復讐が終わるわけじゃないから。

憎悪に満ちた娘の殺人未遂の告白に、千鶴は息を飲んだ。

中学でいじめを受けて不登校になってからは、自宅に引きこもっていたし、出かけると言っても近所のスーパーか公園くらいだと思っていた。それが、周到に計画した復讐計画を練っていたなんて。自分の娘だというのに千鶴はドラマのような日記の無いように身震いがした。しかし、実際には娘が人殺しにならずに事は終わったという事を読んで胸を撫で下ろした。

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舞の決心

更に日記を読み進めていくと、年が変わった2000年の日記はこれまでのいじめの記憶の記述が無くなりはしなかったが、一部の日記で前向きな舞の思いが綴られている内容が見受けられた。この年から職業訓練に出始めることになったのが大きな要因らしい。また、入院生活にも慣れて、心療内科のスタッフとも関係が出来てきたことからある種の信頼感が芽生えたのかもしれない。千鶴がそう思った日記は次のように綴られていた。

2000年1月16日

事務員のおばさんが気にしていた2000年問題は特に何もなかったみたい。だって、年末に先生から告知されてた職業訓練の話をするためにマニュアルを印刷してあたしに渡してきたんだから。あたしは正直気が進まなかったけど、ちょっとバイトみたいな事をすると小遣いが貰えるって言われた。カウンセリングと検査以外はやることなくて雑誌が買いたかったから一応やってみることにした。

2000年1月23日

初めての職業訓練の日だった。今日は農家の手伝いで畑の手入れを手伝わされた。結構重労働だったから体力的にはきつかったけど、久々に外に出て太陽の光を浴びたのは気持ちが良かった。それに、農家のおじいさんが『手伝ってくれてありがとう』って声を掛けてくれたのはなんだか嬉しかった。今まで生きてきて自分の存在が他人の役に立つんだなんて感じたことが無かったから。これはこれで悪くないなって思った。

2000年2月3日

今日は節分。職業訓練の2回目。今日は農作業じゃなくて、幼稚園の子供たちと豆まきのレクリエーションだった。と言っても、ちょっと参加してあとは散らばった豆を片付ける係だったけど(笑)

最近のちっちゃい子って賢い子が多いんだな。あたしに『お姉ちゃん可愛い』って言ったと思ったら片付けを押し付けてきたよ。

2000年2月17日

職業訓練も慣れてきた。今日は院内の看護師の仕事を手伝うって内容だった。年寄りのお風呂の世話とか、トイレに一緒について行ったりとか、一日中誰かと手をつないでるような仕事の内容だった。最悪だったのは、院内の仕事だから今日は小遣い無しだって。でも、今日の体験はあたしにとって結構重要な体験だったかもしれない。もしいつか退院したら看護師を目指して勉強してみようって思えた。

それは、あたしの過去を振り切って新しい自分を見つけられるかもって思ったから。だから、来月からはまず退院することと、そのためには自分と向き合わなきゃって先生が言ってたから、カウンセリングももう少し真面目にやろうと思う。すべては、あたしの過去と未来のために。自分のために。変えるために。

千鶴は少し涙ぐみながらこの日記を読んでいた。心療内科から毎月舞の状況は報告を受けていたものの、娘の自律的な心の変化を読み解いてみると、舞も頑張ってきたんだなととても嬉しくなった。いじめを期に人生は変わってしまったかもしれないけど、全てを受け入れて自分を変えようと娘は努力してきたんだなと感心していた。

しかし、暫くそのまま読み進めてみると、千鶴は自分の想像が間違っていたことに気付いた。

後編に続く

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