【第1話】11月でも何故か寒いコンビニの話 -後編-

オリジナル小説作品
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用事があるからと、昼間のシフトを英恵さんとアルバイトに任せて出かけた清司さん。住吉さんの訪問が無駄になってしまいましたが、住吉さんは、年末年始の販促施策の話がしたいということで、清司さんの帰ってくるだろう予定の夜勤シフトのスタートに再度店に立ち寄ることにしました。2~3店舗ほかの店に顔を出して、近くのファミレスで時間をつぶせばいいかと考えていた住吉さんは、近くのスーパーで適当な総菜を買って簡単に食事を済ませて、車の中で少しだけ仮眠を取りました。

いつものルーティン

スーパーの粗末な総菜をつまみながら、『これならうちの商品のほうが美味いな。でもやっぱりちょっと値段が高いよな。アハハ。』そう独り言を言いながら時計を見ると、もうすぐ18時になろうかというところでした。清司さんが店に戻る時間までは、まだ少し時間があります。

『今日はちょっとだけ楽をさせてもらおうか』

誰に言うでもなく、仕事をさぼることを正当化するためだけの独り言を、車の中でつぶやいた住吉さんは、22時にタイマーをセットした時計をダッシュボードに乗せて、満腹になったおなかをさすりながら、車のシートを倒しました。今日はコートを持ってきていたので車のエンジンは切って、コートで隙間なく自分の体をくるんで左耳を下にしてシートに収まりました。ファミレスの駐車場にはトラックの運転手などが多く、少しくらい仮眠を取っても目立ちはしないだろうというのが住吉さんの考えで、お手洗いに行きたくなったらドリンクバーでも注文すればいいだろうとタカを括っていたのです。

遠くで子供の声が聞こえた気がしましたが、それはそうだろう、もうすぐ夕飯時だからファミレスでディナーという家族もいるだろうな、そんなことを思いながら、住吉さんは眠っているとも起きているともつかない、中途半端な状態を保ちながら、目を閉じて横になっていました。

『俺ももうすぐ還暦だからな。そうなったら清司さん夫婦とも仕事が出来なくなるな』そんなことを考えると少し寂しい気もしてきます。『跡継ぎはやっぱり君枝さんかな。あの人はしっかりしているしアルバイトとのコミュニケーションも上手い。ただ、コンビニの切り盛りを手伝っていたせい(ということにしておくか)で、結婚が出来なかったから、長男を呼び戻して一緒に店やるのかな。』少しおせっかいかと思いましたが、住吉さんはそんなことをぼんやりと考えているうちに、ふっと意識が遠のいて眠りについてしまいました。

20時を回ると、一旦学生のアルバイトに店を任せて英恵さんは夕飯を食べて近くのスーパーに買い物に行きました。昼間から夜勤まで働くときは、これがいつものルーティンで、21時にだいたい君枝さんが夜食を持って店に立ち寄り、英恵さんが買ってきた買い物袋を持って帰るというのが恒例行事になっていました。夕方から夜勤前までの学生アルバイトはしっかりした子たちが多く、英恵さんも安心して店を任せられるからです。『今日はお父さんがまだ帰らないから、明日の発注だけ見ておいて頂戴ね。』清司さんがいつもは担当している次の日の納品の仕事をアルバイトに任せて、英恵さんはスーパーへ買い出しに行きました。

店からの電話

『ん・・・なんだ、目覚ましじゃないな。』

16和音の着メロの音で目が覚めた住吉さんは、そう言いながらシートを起こしました。

『ブーッ、ブーッ、ブーッ』

バイブレーションと共にサザエさんのオープニングテーマが鳴り響く携帯電話を手に取ると、そこには清司さん夫妻のコンビニの名前が表示されています。『あ、清司さん帰ってきたのかな。でもまだ21時過ぎだな。まぁいいか。』そんなことを言いながら、住吉さんは電話に出ました。

『はい、お待たせしました住吉です。』それまで寝ていたとは思えないような、歯切れのいい口調で住吉さんは電話に出ましたが、受話器から聞こえたのは、アルバイトの慌てふためいた様子の声でした。

アルバイト:『住吉さん!住吉さんですか?君枝さん、つながりました!』

住吉さん:『どうしたの、ちょ、ちょっと落ち着いて。何があったの?』

アルバイト:『清司さんが!お客さんと・・・!君枝さん!警察に電話してください!』

住吉さん:『警察?どうしたんだ!?大丈夫ですか!?』

アルバイト:『とりあえず来てください!早く!』

そういうと、恐らく子機で電話していたでしょうか、ガタガタッという落ちるような音と、ひどい雑音が住吉さんの耳を刺しました。何が何だか分からない状態ではありましたが、とりあえずお客さんと清司さんが揉めているらしいということと、『警察って言ってたから誰か怪我人でもいるのかな』と不安な思いに駆られました。急ぎ過ぎてシートベルトも上手く締められないままエンジンをかけた車を、住吉さんは清司さん夫妻のコンビニへと走らせました。10分ほどで到着できるはずですが、先ほどのアルバイトの緊迫した声が頭の中でこだましています。

何度か信号無視をしながら住吉さんは車を飛ばして、コンビニの駐車場へ斜めに停車すると、店の中をチラッと見ましたが、人影らしきものは見えません。車を降りると同時に、『あなた、ちょっと!』と叫ぶ英恵さんの声が聞こえます。これはただ事ではないなと察した住吉さんは、急いで店のドアを開けました。声のする方向に歩いていくと、住吉さんは自分の目を疑いました。

そこには血まみれの清司さんと、その清司さんを抱きしめて話しかけている英恵さん、バックヤードの奥でガタガタ震えているアルバイト数名の姿がありました。

『何があったんですか!?』

住吉さんは清司さんの目の前にしゃがみこんで、うつむいた清司さんの顔を覗き込みましたが、清司さんは放心状態で細い息をしているだけです。ただ、住吉さんはその瞬間に違和感を覚えました。それは、清司さんの体は血まみれですが、どうやら本人は怪我をしていないようです。

『英恵さん、何があったんですか?説明してもらえませんか?』住吉さんが少し大きな声で英恵さんを訪ねると、『私が帰ってきたら店の中から悲鳴が聞こえて、な、何事かと思って中へ入ったら、こ、この人が血まみれで店の棚をバンバン叩いていて。どうやらお客さんと揉み合ってたみたいでお客さんが怪我をしていたから、先に来ていた君枝がお客さんを、びょ、病院に連れて行ったらしいんですよ。』気が動転しているらしく英恵さんはところどころどもりながらこう話しました。

『とりあえず警察を待って、アルバイトは一旦バックヤードで非難させましょう。』

住吉さんは落ち着いた口調でそう言うと、アルバイトを監視カメラのモニターがあるバックヤードへ、清司さんと英恵さんを休憩室へ連れていきました。アルバイトの話では君枝さんが病院へ行く前に警察を呼んでくれたので、そろそろ到着するはずだとのことです。

『ああああぁぁ・・・ああぁぁ・・・』

清司さんは少しかすれたような声で、言葉にならない声でうめいているようでした。

防犯カメラに映った清司さん

『怪我はないんですか?清司さん!大丈夫ですか!?』住吉さんがそういった次の瞬間、警察官3人が店のドアを勢いよく開けて入ってきました。

警察官:『何がありましたか!?お怪我をされている方はいますか?』

警察官2名が店の中をグルっと見回って、店の中にいる人がいないか確認し、もう一人の警察官がバックヤードへ入ってきました。アルバイトの過呼吸になっている状態を察した警察官は、『とりあえずアルバイトの方は、ご家族に連絡してご帰宅なさって大丈夫です。後日お話を伺うと思いますが、状況的に本日は大丈夫です。一旦パトカーに乗りましょう。』そう言って店の中を見回っていた警察官に何やら指示をして、アルバイト二人を店の外へ出しました。

『どなたかお話しできる方はいらっしゃいますか?』その声に『エリアマネージャーの住吉と言います』と住吉さんが応答しました。自分も電話をもらって急いで駆け付けたらこのような状況で、詳細は分からないということを告げると、監視カメラの録画を止めてアルバイトから電話があった9時15分よりも少し前のところまでテープを巻き戻しました。

時計の秒針が動く音だけがバックヤードに響いて、緊迫した空気が流れていました。『この辺でいいかな』そう住吉さんがつぶやくと、画面にはいつも通りの店内の風景が映し出されていました。少し早送りすると、誰もいないガランとした店内に、清司さんと一人の男性が一緒に店に入ってくる姿が見え、住吉さんは急いで早送りを止めました。じっと画面を見つめる住吉さんと警察官、そして秒針のカチッカチッという音。ビデオの音声が少し小さく、アルバイトの『いらっしゃいませ』の声が聞き取りにくかったのか、住吉さんは音量ボタンを何度かカチカチッと押しました。

ビデオに映る清司さんは、レジのアルバイトにいつもの野菜を送るための帳面を渡しながら、一緒に入店した男性とレジに立ちました。時折笑顔を見せて男性と談笑しながら、清司さんは帳面を指し示しながら、男性にいつものように記帳するよう促していました。

すると、ビデオに映る清司さんがなにやら男性に顔を近づけて、耳打ちしている様子が見て取れました。二言三言、男性の耳を隠すように自分の右手で覆いながら何か話しています。清司さんが話し終わったとたん、男性は帳面に記帳していた手を止め、ボールペンのキャップを締めて、『だったらどうした!もう時効だからな!ハハハ!残念だったな!じいさんよ!』と突然叫び始めました。その瞬間、不意に遠い目をしてかすれたような声で清司さんは『あぁ、そうか・・・』とつぶやくと、男性の襟首をつかんで男性を押し倒しました。急に倒された男性は頭を打ったのか、頭の後ろを押さえるそぶりをしましたが、その男性に向かって、清司さんは近くにあったアイス売り場から5kgの氷の袋を、力の限り男性の顔めがけて叩きつけました。

『ぎゃーーー!!』というアルバイトの悲鳴と共に、男性の額からあふれた血が床にじんわりと広がっていきます。男性は抵抗しますが、頭を打っているからか、フラフラしながら起き上がろうとするも、なおも清司さんは平手打ちを交えながら何度も何度も、高齢男性とは思えない勢いで氷の袋を男性にたたきつけ続けました。男性が『ウグッ』と声を出して動かなくなると、清司さんが男性の襟元をつかんで、

『お前だけは絶対に生かしちゃおかない!絶対に!俺たちの真理子を!大事な娘の真理子を!お前が手にかけたんだろ!絶対に許しちゃおかないからな!』

そう言いながら、無抵抗になった男性の頭を床にたたきつけ、馬乗りになって叫び続けました。

アルバイトの悲鳴がやまない中、店のドアから君枝さんが入ってきました。状況を見た君枝さんは清司さんを羽交い絞めにして男性から引き離しました。と同時に『住吉さんに電話して!』アルバイトにそういうと、一人のアルバイトがどこかへ電話している様子です。少しの間があって、『住吉さん!住吉さんですか?君枝さん、つながりました!』という声が聞こえて、『この電話をもらって私がここに駆け付けたんです』と住吉さんは警察官に説明をしました。

『とりあえず応援を呼びますので、あなたはちょっとお待ちいただけますか?』警察官からそういわれると、『わかりました。』と答えて、目の前に映った信じられない光景に、住吉さんは言葉を失っていました。

休憩室に清司さんと英恵さんを連れて行ったことを思い出し、『あのー』っと警察官に声をかけてその旨伝え、ふたりが居る休憩室には2名の警官が待機することになりました。清司さんは俯いて疲れた様子でうなだれて、ビデオに映っていた目を剥いて氷を叩きつけていた人物とは思えないほど、小さくしぼんでしまっていました。英恵さんは同じく疲れ切ってしまったのか、涙も枯れた様子で清司さんの左手を両手で握りしめて清司さんに寄りかかり、休憩室の床に座っていました。

清司さんと英恵さんは警察に連行されて、証拠として監視カメラのビデオも押収されていきました。住吉さんは重要参考人ということでした、一旦店の処理などもあるため、病院に行っている君枝さんと共に、後日事情聴取に呼ばれるだろうということでした。何が起きているのかいまだに整理がつかないまま、機械的にコンビニ本部に連絡して、長期休業の手続きや店舗内の片づけなどの手配をしていると、住吉さんの携帯電話がまた16和音の着メロで鳴り出しました。状況に合わない明るいメロディーに住吉さんは舌打ちをしながら電話に出ると、それは君枝さんでした。

『・・・もしもし、君枝さんですか?』

疲れた声で住吉さんが電話に出ると、『あ、君枝です。警察から連絡を受けました。店のほうの対応申し訳ありません。それから・・・』

『・・・例の男性ですが、亡くなりました。』住吉さんはある程度想定していたものの、危害を加えたのが清司さんであるという事実を認識した今、目の前で起きていること、君枝さんが伝えたことが事実として起きているのか、はたまた、これは夢なのか分からなくなった。反射的に『そうですか』とだけ言い残し、『詳しいことは事情聴取ですね。』と言って電話を切りました。

事情聴取の後

12月になって、あれだけ繁盛店だった田村夫妻のコンビニは、看板も外され駐車場には規制線が張られてガランとしていました。あんなことがあってからでは物件を売りに出すこともできず、不動産管理会社は頭を悩ませていました。君枝さんと住吉さんはそれぞれ別々に事情聴取に呼ばれて、これまでに3回の事情聴取を受けています。住吉さんは精神的なショックと事情聴取のスケジュール上、仕事をしばらく休暇扱いにしてもらっていました。住吉さんが警察から説明を受けた事件の顛末はこうです。

事件は、殺人及び傷害致死。加害者は田村 清司、被害者は上岡 将(かみおか まさる)。清司さんは上岡さんと連れ立って事件当夜21時12分ごろ店へ来店し、レジ前で口論になり、上岡さんを氷の入った袋で殴打したことが致命傷とのことです。清司さん本人は意識が朦朧としており、当時のことは明確に答えることが出来ていない様子ですが、防犯カメラの映像と英恵さんの証言を合わせると、1973年に亡くなった次女真理子さんを殺害したのが上岡さんであり、復讐のために殺害したというのが現状の動機となっています。

真理子さんが殺害されたという事実は住吉さんも初めて知りましたが、実は当時17歳だった真理子さんは韮崎市の山中で乱暴された状態で、首を絞められて殺されたようです。山へ出かけると言って戻らない真理子さんを清司さんが心配して探しに行ったところ、真理子さんと思しき叫び声と男の声が聞こえ、慌てて駆け寄るとジャケットを着た男が真理子さんに覆いかぶさり、首を絞めていたのです。

男は帽子をかぶっており、辺りは暗くなっていたので顔は見えませんでしたが、逃げようとする男の髪の毛を清司さんがつかみねじ伏せようとしました。しかし、男のほうが体が大きく振り払われてしまい、清司さんの爪には男の毛髪が残っていました。

事件後、警察に何度もDNA鑑定を申し出ましたが、清司さんが男の毛髪をつかんだというのは清司さんの証言しかないので相手にしてもらえず、若い女性が強姦されるという話は当時の田舎町ではよくある話だったので、警察もろくに取り合ってくれなかったということです。

清司さんが保管していた毛髪を再度調べたところ上岡さんのDNAと一致し、証言だけで言えば真理子さんを殺害したのは上岡さんで間違いないだろうという話です。当時上岡さんは酒癖が悪く暴れることもあり飲酒運転で逮捕歴があったので、大筋で警察もそれを認めているとのことでした。しかし、すでに事件は時効を迎えているため、怨恨からの殺人ということで清司さんは書類送検されることとなりました。

『あんなにお人よしだと思ってた清司さんが、まさか、あんなことになるなんてなぁ』

住吉さんは清司さんが訪れていた湖のベンチで一人つぶやきました。清司さんがあんなことになってしまい、一番苦労するのは英恵さんだと思った住吉さんは、自宅で小さく静かになってしまった英恵さんを訪ねることにしました。

田村さん夫妻の自宅はコンビニ・・・があったところから歩いて5分ほどのところに、羽振りが良かった勢いで買った大きな家でした。高度経済成長の時代に建てられたものの、時代の流れに逆らって塀があって門構えも立派な、どこか古臭い作りの、それでいて所謂金持ちの家という様相でした。近隣には現代風のモダンな家が多いことから特に目立っていましたので、近所の人にも一目で田村さんの家だということが知れ渡っていました。

家の中に入ると君枝さんが出迎えてくれました。声はしっかりとしていますが、頬はこけて目にはクマが出来ていました。『どうぞ』と君枝さんに促され、住吉さんは英恵さんのいる居間に腰を下ろすと、目の前に出されたお茶を一口すすりながら、『大丈夫ですか』と声を掛けました。英恵さんは縦に頭を動かしながら声は出さずに、合掌をして色々と迷惑をかけたということを住吉さんに詫びました。

『真理子の事・・・死んだ理由を話してなくてごめんなさいねぇ・・・。でも乱暴されて・・・怖い思いをしながら苦しんで死んだなんて・・・人様にはとても・・・』

住吉さんは『いえ・・・』とだけ言ってまた一口お茶に手を付けました。住吉さんには事情聴取が終わった後3つの違和感がありました。しかし、今ここでそれを口にできるほどの空気ではないと察したため、『明後日、英恵さんが良かったら真理ちゃんの湖、一緒にいきませんか』そう口にしました。

蛍光灯がすこしチラチラと点滅する居間の真ん中で英恵さんは少し考えながら、『お気遣いいただいてありがとうございます。ご面倒じゃなければ気分転換に甘えさせてもらおうかな』と答えました。『もう12月ですから、寒さ対策はしっかりしてきてくださいね』無理に声を張って重苦しい雰囲気を吹き飛ばそうと住吉さんは答えました。

違和感の真相

約束の日、住吉さんはスーパーで買ってきた粗末な総菜とおにぎり、そしてもやもやとした不安と違和感を抱えながら、車で英恵さんを目的の湖まで乗せて走っていました。

湖について冬の風を避けられそうなベンチを見つけると、英恵さんの手を引きながら歩きました。ベンチに腰掛けて持ってきた『ランチセット』をテーブルに広げて、『まずは腹ごしらえですね』と住吉さんは笑って見せました。英恵さんは小さな声で呟きましたが、それでもせっかくのランチセットに手をつけませんでした。『食べないんですか?』住吉さんがそういうと、英恵さんは小さくうなずき合掌を作り頭を下げました。『そうですかぁ。では少しお話を伺います。』住吉さんが切り出しました。

『英恵さん、私は今回の件があってから違和感を感じていました。最初はそれが何か分からなかったのですが、先日ご自宅へお邪魔した際に全部分かったような気がしたんです。』住吉さんは探偵気取りで話を続けます。

『英恵さんが腰かけていたところの隣にある本棚に、心理学や催眠術の本がたくさんありましたね。催眠術って、暗示をかけることで人をコントロールしたり、スポーツの世界では瞬間的な力を出すために、セルフマインドコントロールなんて呼ばれることもあるらしいじゃないですか』ここまで聞いた英恵さんは何かを悟ったように口を開きました。

『30年もお付き合いがあると、わかってしまうものですか』しわがれた、か細い声で英恵さんがそういうと、『わかりたくなかったことですけどね。』住吉さんは答えました。実は今回の事件、もともと清司さんに対して英恵さんが催眠術を利用して暗示をかけ、上岡さんに復讐するために行っていたことだったのです。

『私は事件の後、3つの違和感があったんです』

住吉さんは湖のほうを見ながら言いました。『それは、①英恵さんが清司さんの傍にいる間、何が起きているのか聞かなかった、②あの時に店内で流れていたBGMは深夜帯のものであり、時間的には流れるはずがなかった、③今現在は殺人事件の時効が撤廃されているのに、上岡さんが時効と叫んだ理由、この3つです。』

『まず一つ目については、旦那さんが目の前で血まみれになっていて暴れていれば、気が動転してしまいますから、無理もないかなって思ったんです。だからあまり気にも留めなかった。でも警察の事情聴取を受けて真理ちゃんの話を聞いたときに、もしかしたらって思ったんです。お二人は共犯だったんじゃないかなって。』

『二つ目のBGMですけど、実は店内にいる時にはそれほど自覚もありませんでした。でも、これも警察の事情聴取の際に、”アルバイトの子がいつもと店内BGMが違った”って言ってたらしいんです。それで私も確かになんか違う気がしたなって思い出したんです。』

『最後の時効の件ですが、これは勉強してわかりました。今は2014年、殺人事件の時効撤廃が決まったのが2010年、つまり4年前ですね。だから私時効があるって思ってなかったんです。でも真理ちゃんの事件が1973年ですから、1998年の段階で時効が成立していたんですね。だから法では裁けなかった。法で裁けないのであればー』そう言いかけた住吉さんに対して『おっしゃる通りです』と英恵さんは小さくつぶやきました。そして、こう続けました。

『真理子が亡くなってから、何度も何度も警察に行って毛髪の鑑定をお願いしたんですよ。でも当時ってねぇ・・・わかるでしょ。結構ずさんなとこもあってねぇ。だから旦那と話して、だったら自分たちで見つけてやろうってなったのよ。でも名前も分からないし、顔も分からない、それであの野菜を送るっていうサービスを始めたのよ。うちに来てくれるお客さんは近所の人が多くて、都会に出る人も少なかったから、いつか店に来る日があるだろうって。そこで名前と住所を控えておけばいつか復讐ができるってね。』

『そんな・・・』住吉さんは絶句しました。

『もちろん、独自サービスっていう面もあったのよ。でも最初の目的は犯人捜しが目的だった。で、あれよあれよという間に時間が過ぎて時効になっちゃってね。それからというもの私たちは途方に暮れたよね。それでエアコンの件を思いついたんです。あれは、旦那に対して催眠術を掛けて深夜帯のBGMが流れた時に、エアコンの温度を下げるっていう催眠術を掛けてたのよ。

私は表に出ていてパネルをいじることが出来なかったから。そうすることで店内が寒くなってくるわよね。お客さんはジャケットを着たまま買い物をする。旦那は年を取って目も悪くなったんだけど、真理子を殺した男のジャケットの手触りは忘れてないっていうから、レジでジャケットを触ることが出来るようにしたのよ』

地域の人気者だった老夫婦に隠された驚愕の真実に、住吉さんは言葉が出ませんでした。英恵さんはなおも続けます。

『それからね、スポーツ選手が催眠術を使うって、オリンピックの時にテレビで見てね。年老いた旦那でも人殺しができるように、それもあとから催眠を掛けたんですよ。』

まとめるとこういうことでした。1973年真理子さんが殺害された。警察に毛髪の鑑定を依頼したが、なかなか動いてもらえなかった。どうしても犯人捜しをしたかった田村夫妻は、自身の経営するコンビニを利用して近所のお客さんの名簿を『野菜サービス』を利用して収集した。

清司さんが野菜サービスをするときにレジ側ではなくお客さんの隣に立つのは、お客さんが着ているジャケットの手触りを確かめるためだった。そして、『その時』が来たら年老いた清司さんでも相手を殺せるように催眠術を掛けていた。夫妻がよく勤務していた深夜帯のBGMなら、ほかのスタッフに影響は出ないと考えた。

『自首はなさるんですか?』住吉さんが聞きにくそうに英恵さんに問いかけました。『そうですねぇ、住吉さんとは昔からの仲ですからね。住吉さんに知られちゃったんであれば、そういうことも必要かもしれませんね。』英恵さんはゆっくりとそしてしっかりとそういった。

『私は他の人には黙っていますから、ご自身で決断されてください。その決断がどうなっても私は咎めるつもりはありません。』住吉さんはそういうと、手をつけなかった『ランチセット』を片付けながら、『そろそろ行きましょうか』と英恵さんを促した。

萩の月

それから5日後、英恵さんが亡くなった。

騒動があってから、英恵さんを見舞った人たちからもらった手土産の一つに、毒が入っていたらしい。警察は事件として捜査していますが、犯人は分からないままだということです。『最後に食べていたのは萩の月なんですよね。』君枝さんはそういうと、買い出しの袋を片付けながら住吉さんに話しました。『萩の月ですか・・・おいしい銘菓ですよね。』『えぇ。ただ、母が若い時から好きだったお菓子なので、母以外は手を付けないようにしていたんです。ちょっとでも元気になればと思ったんですが。』

『あ、住吉さん。そういえば押し入れから母の日記が見つかって。どうやら亡くなった上岡さんと母は、昔から知り合いだったみたいです。知り合いというか・・・元々恋仲だったみたいで・・・』

『え・・・』住吉さんは言葉が出なかった。

『そうなんですよ。私たちも知らなかったんですが、これー』

5月10日 将から別れを切り出される。どうやら女ができたらしい。酒乱で暴れん坊の将に今までずっとついてきたのに、どうして。悲しい。あの女許せない。

弱しい筆跡であり、英恵さんの心情を考えると、住吉さんはいたたまれなくなりました。『ちょうどその1年後に父と母は結婚しているので、上岡さんに振られたってことで父と結婚したみたいですね。』君枝さんがそう言うと、住吉さんは嫌な予感がしてしまった。

『そういえば上岡さんは奥さんに先立たれて、娘さんを一人で育ててたんですよね?奥さんが亡くなったのって食中毒でしたよね?まさか・・・』そこまで言うと、住吉さんは大きな咳ばらいをして、今まで話したことをなかったことのように、君枝さんに日記を返しました。

『私もね、何となく・・・でも何も証拠もないし、自分の両親が二人ともそんな人だったなんて思いたくないので・・・』君枝さんは不意に遠い目をしてかすれたような声でそう言いました。『上岡さんの娘さんはその後どうしているんでしたっけ。どこかに住まわれているんですかね?地元にはいらっしゃらなかったですよね?』住吉さんが尋ねると、君枝さんは目を見開いてサッと血の気の引いた顔で、住吉さんを見ながら一言だけつぶやきました。

『仙台・・・』

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