【第3話】声にならない声の主 -前編-

オリジナル小説作品
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もしもあなたが喋ることが出来ないとしたら、どうやって相手に自分の意志を伝えますか?もしもあなたの想いが相手に伝わらないとしたらどのような手段を取りますか?このお話は、そんな声にならない声を伝えようとする少女とその声に隠された驚愕の真実のお話です。

雇われたベビーシッター

産業革命が一段落したころ、アメリカ、ルイジアナ州にある小さな農場を経営するピーター・ジョン・マックインは今日もトラクターに乗って自身の農場へ出かけた。妻のバーバラとは23歳の時に結婚し、家のことはバーバラに任せていた。代々農場を経営する一家だったピーターは大きな家を持っていたため、家計が苦しく子供を育てられない家庭から里親として子供を迎え入れることもあった。

長らくピーターの母バネッサ・ローズ・マックインが里子の面倒を見ていたが、病に倒れてからはバーバラが代わりに子供たちの面倒を見ていた。やがてバネッサが亡くなるとバーバラだけでは大変だろうとルイジアナ州の新聞社へ赴きベビーシッターの広告を出すことに決めた。

『1週間で50ドル、1か月なら180ドルで出せますよ』

ピーターにそう告げたのは、新聞社のポール・ステファンだった。ポールはテンガロンハットを被っており、青い瞳を彫りの深い顔立ちに一層目立たせて、髭はきれいに剃った細身の男性だった。チェック柄のシャツを好んで着ており色あせたジーンズというどこにでもいるような普通の男だ。ただ一つピーターが気になったのは、彼が喋る時の『ンッ、ンッ、それでね』という癖だった。

『こんな景気だからそんなに早く見つかるとは思えないんだ。2か月掲載するから350ドルでどうかな?』

ピーターは農場経営のノウハウを父親から学んだが、父は絶対に言い値では買い物をしなかった。そのせいかピーターも可能な限り交渉する癖がついていた。バーバラはこのピーターの経営者根性を疎ましく思う時もあり、レストランや市場では恥ずかしく思うこともあった。

『わかりました。では、そっちの書類にサインしてもらって、広告の原稿が出来たら持ってきてもらえますか。郵便で届けてもらうとなかなか時間がかかるからね。支払はその時で大丈夫ですよ』ポールがそういって『売約済み』のハンコを押した書類をピーターに手渡すと、ピーターはトラクターに乗り込んで農場へ帰った。

ピーターが農場へ入ろうとすると、小屋のところに人影が見えた。よく見るとボロボロの服を着た少女のようだった。おそらく歳は20歳そこそこだろうが、ひどくやつれているのでもしかしたらもっと上かもしれない。そんなことをピーターは思いながらトラクターを降りると少女のもとへ歩み寄った。

『あー、腹が減ってるんだな。家はどこだ?』

少女はトウモロコシを5つほど抱えてピーターに背中を向けながら『ごめんなさい。父が亡くなってお金がなくて。でも私が働ける場所なんてルイジアナにはないから、つい・・・』どうやら盗みを働こうとしていたらしい。ピーターは母から助け合いの精神を叩きこまれていたこともあり里親もずっと続けている。助け合うことでいつか助けてもらえると信じているからだ。ガタガタ震えた少女にピーターはこう提案した。

『兄弟は居るかね?もしくは、子供は嫌いか?うちでベビーシッターを探しているんだが、もし君が良ければ住み込みで衣食住はこちらで用意する。その代わり、ちょっと大変だと思うけど、うちには里子がたくさんいるからその子たちの世話をしてほしいんだ』

この提案に少女はやっと顔をこちらに向けた。ピーターは少し驚いた。少女の顔は非常に綺麗な顔立ちでとても盗みをしている人には見えなかった。各家庭の境遇は本当に奇妙なものだとピーターは思った。ただ、これだけ綺麗な顔をしているのに売春なんかに手を出さないで盗みをするところを見ると、彼女の内面の純朴さを少しだけ感じた。

『ほ、本当にいいんですか?お許しいただけるのですか?』

少女はそういった。ピーターは大きく2回頷いて、トラクターにあったコンビーフの缶をあけ少女に手渡した。『とりあえず食いなよ!それで、あんた名前は?』

少女の名前はマリアといい、ピーターの農場から近くの森の入り口に家があるという。しかし、先日森で仕事をしていた最中の父が木から転落して亡くなり、母を幼いころに亡くしたマリアは天涯孤独になってしまったというのだ。

『そうか、それは大変だったな。じゃあ、今日からでいいか?ベビーシッター頼むよ。うちの奥さんが少しヒステリーだから滅入っちゃうかもしれないが、そこはまぁ、ちょっと我慢してくれよ。』

マリアをトラクターに乗せてピーターは自宅へと向かった。水平線が見える長い長い道をトラクターのエンジンがガタガタと音を立てながら走る中、ピーターは二つの事を考えていた。それは、一つは自分の妻とマリアが仲良くやってくれるといいということと、支払い前の広告の出稿をどうやって断ろうかということだった。

深夜の少女の声

家に入る前にピーターは少し声のトーンを落としてマリアに言い聞かせた。

『いいかマリア、子供たちは従順だ。ただ、まだ小さな子たちだから食事とかトイレとか風呂とかそんな世話をしてほしい。夜がちょっと大変だけど、子供たちが眠りにつくまで絵本を読んでくれ。それ以外は遊び相手、話し相手をしてくれていれば大丈夫だ。バーバラもそのくらいしかしてないからな。あ、妻はバーバラっていうんだが、気を付けてほしいのはバーバラだ。基本的には大丈夫なんだが、突然スイッチが入って癇癪を起すときがある。君は弱い立場になるだろうから、バーバラには逆らわないようにしてくれ。何か不都合があるなら俺に言ってくれればなんとかするから、バーバラの前では言われたとおりにしておいてくれ。』

マリアは少し不安を覚えたが、ガタイの良いピーターが見方であるということは十分わかっていたため、奥さんの前でだけおとなしくしていればいいんだと考えた。

『帰ったぞ』

ピーターは木でできた白いドアにクマ避けのベルが付いた玄関を入ると、家の奥に向かって叫んだ。数人の子供たちとバーバラが出迎えた。

『あら、もう見つけてきたの?早かったわね。』

聞いていた癇癪持ちのイメージとは似ても似つかないような、美人の女性がバーバラだった。短髪だがきれいな金髪の髪に褐色の肌、チューブトップから見える鎖骨のあたりには刺青を入れて、ウエストは本当に食事をしているのかと思うくらい細かった。それでいて、足は長く白いジーンズが良く似合っていた。

『お世話になります。マリアです。』

心なしかマリアは上の空であいさつした。

『マリアね。子供たちのお世話よろしく頼むわ。さすがに私ひとりじゃちょっと大変でね。夫にベビーシッターを探してもらっているところだったの。夫のお世話以外お願いするわね。』

子供たちがいる前でどうかと思うほど、皮肉に満ちたそして卑猥な表現でバーバラはそう言った。

『わ、わかりました。色々と教えていただければと思います。』

5,6人の子供たちはみんな同じような服を着ており、身なりは綺麗だった。親を亡くした自分にとって、里子の子供たちは何となく年の離れた兄弟のようで、マリアはこれから世話をしていくことをそれほど苦に感じなかった。ピーターの言った通り、バーバラには気を付けたほうがよさそうだということ以外は、それほど心配する必要はないと思った。

家の間取りと子供たちのおもちゃや食べ物について一通りバーバラから説明を受け、その日はとりあえず休んでいいということで夫妻の隣の寝室で眠ることになった。子供たちの寝室は1階にあり、夫妻の寝室は2階だった。マリアは疲れ切っていたが、なかなか眠ることが出来なかった。それは、隣の部屋から聞こえるバーバラの喘ぎ声が酷く煩かったからだ。ピーターとバーバラのセックスは深夜1時ごろまで続いた。

二人のセックスも終わったと思われたころ、ようやく眠れると思ったマリアは別のことが気になった。天井なのか、それとも壁の向こうなのか定かではないが、小さな女の子の声が聞こえた気がした。

『look out・・・look out(気を付けて・・・)』

最初は少女の声だと思ったが、次第にドスの聞いたような酒焼けしたような声で聞こえてきた。恐ろしくなってマリアがベッドから起きるとその声は止んだ。疲れているのだろうとマリアはその声を無かった事にして、その夜はぐっすりと眠った。

もう一つの部屋

翌朝、バーバラに起こされたマリアは朝食の準備を手伝った。農場で獲れたレタスとトマトをカリカリに焼いたベーコンと一緒にパンに挟んだサンドウィッチだった。ピーターの分は目玉焼きも一緒に作った。子供達にはシリアルと牛乳の量を多く配分して、栄養面に考慮していることが伺えた。

『さ、食べましょ。』

テーブルだと子供たちが座りづらいので、朝食はリビングにあるソファーで食べることが日課になっていた。壁に掛けられたラジオからは今日の天気とクマの出没のニュースが流れていた。

『マリア、朝食が終わったら子供たちと寝室で遊んでてくれる?その間に私は洗濯物と掃除を片付けるから、お昼になったら何か適当に作って食べさせてあげてちょうだい。私はお昼前に買い物に行ってくるわ。』

白いマグカップにコーヒーを注ぎながらバーバラがマリアに言った。マリアは思っていたよりも楽な仕事だと思った。家事はバーバラが分担してくれるし、子供たちも聞き分けがいいので、それほど手がかからなかった。ふと、昨晩の少女の声のことが気になったが、今は黙っておこうと、マリアはバーバラから手渡されたコーヒーに口をつけた。

『それじゃあ、いってくるかぁ』

ピーターがサンドウィッチをひと掴みしてラップにくるむと、トラクターの鍵をポケットに入れて玄関を出ていった。見送る子供たちの頭を撫でた後、ピーターはトラクターに乗り込んでブルンブルンとエンジンをかけた。

子供たちの相手をしていると目まぐるしく1日が終わった。

その晩もピーターとバーバラのセックスは激しかった。マリアはまたかと思ったが、文句を言える立場ではないと我慢するほかなかった。それよりも、二人のセックスが終わった後のほうが気がかりだった。またあの少女の声が聞こえるのではないかと不安になった。その不安は的中した。

マリアは恐る恐るベッドから出ると、子供たちを起こさないように静かな足取りで廊下へ出た。夜空は晴れていたので月明りが窓から差し込んでおり、ランタンを使う必要はなかったが、それでも少女の声がどこから聞こえるのか分からない恐怖と、その声の主が何者なのか分からない不気味さにマリアは震えていた。1階に降りると声は遠くなった気がした。恐らく2階で聞こえているのだろう。そう思ってマリアはまた階段を静かな足取りで上がっていった。

階段を上がってすぐの部屋がマリアにあてがわれた部屋で、その隣が夫妻の寝室、その夫妻の寝室の向こう側にもう一つ部屋があることに気づいた。夫妻の部屋のドアは閉まっていたので奥の部屋を覗きこむと、子供部屋のようだが使っていないような雰囲気があった。

ガランとしたその部屋は、何となく空気が冷たい気がした。部屋の中にはクローゼットがあり、どうやら声はそこからしているらしい。マリアは一瞬た躊躇ったが好奇心のほうが勝っていた。部屋に入りクローゼットの前に立ち、そっとクローゼットの戸を引いた。その瞬間、声は止んだのだ。もちろん、クローゼットの中には何もなかった。マリアは仕方なく自分の部屋へ戻り、悶々とした気分の中静かに朝を迎えた。

突然の悲劇

次の日もバーバラは家事を分担してくれた。ベビーシッターとして働き始めてから3日目、マリアは思い切って例の少女の声をバーバラに相談しようと思った。

『あの・・・ちょっと相談してもいいですか?』

マリアは家事を終えてダイニングテーブルで一休みしているバーバラに声をかけた。バーバラはタンクトップに短パンというラフな格好で扇風機の風に当たっていた。

『どうしたの?あ、昨日は激しすぎちゃったかしら』相変わらず卑猥な表現で自分たちのセックスを茶化すバーバラに『いや、そうじゃなくて・・・』マリアは返答に困りながらも続けた。

『夜中、日付が変わったくらいなんですが、女の子の声がする気がして。自分の勘違いだと思ったんですが、昨日も一昨日も同じような事が起きていて。お二人の寝室の奥の部屋から聞こえているみたいなんですよ』

マリアはゆっくりとした口調で昨晩の出来事を思い出しながらバーバラに説明した。すると突然バーバラはダイニングテーブルを叩いて叫んだ。

『そんなことあるわけないでしょ!あの部屋は使ってないから!変なこと言わないでよ!私の家がゴーストハウスだとでも言いたいの!?いい加減にしてよ!』

ものすごい剣幕で詰め寄るバーバラにマリアは咄嗟に謝ることしかできず、ピーターが気をつけろと言っていたのはこのことかと思い出した。このことはバーバラには話が出来ないと悟ったマリアは、『子供たちをお昼寝させてきます。』と言い残してその場から逃げた。

夕方になり、いつもならバーバラと夕食の準備を始める時間だが、バーバラは大きな旅行鞄を抱えてマリアにこう言った。『あんたが変なこと言うから気分が悪くなったわ。1週間くらい旅行に行くからピーターに伝えておいてちょうだい。家事はあなたも出来るわよね?ま、今まで私は一人でやってたんだから出来てもらわらないと困るんだけど』そう言い残すとピーター宛だという手紙を封筒に入れてマリアに手渡すと、バーバラはどこかへ出かけてしまった。

自分のせいでバーバラが出て行ってしまったことをどうやってピーターに話そうかと考えているとしばらく時間が流れた。すっかり日も落ちたころ、聞きなれたトラクターのエンジン音が遠くから近づいていることに気づいた。

ダイニングテーブルに座り手渡された封筒を置き、ピーターが入ってくるのを待った。

『帰ったぞ』いつものように仕事から帰ったピーターが玄関から入ってくると子供たちが迎えた。すぐに気づいたピーターは『バーバラはどこ行った?』とマリアに尋ねると、ダイニングテーブルに置かれた封筒を見て『あー、そういうことか。意外と早かったな。全く困ったもんだ。』そう言ってバスルームで顔を洗ってからダイニングテーブルに腰掛けた。

大きな手でバーバラが残した封筒をパタパタと叩きながら、ピーターはマリアにこう話した。

『あいつは昔から気性が激しくてな。いつもはいい女なんだがスイッチが入るとこうだ。それでも俺が惚れて結婚したんだが、なかなか機嫌を取るのも大変だよ。なぁに、1週間もすれば帰ってくるさ。その間は家事と子供たちの世話が大変だと思うけど、俺も手伝うよ。あ、俺の世話は大丈夫だぞ。ガッハハハハ!!!』

ピーターなりの気遣いだったのだろうが、マリアはそれどころではなかった。なぜなら例の少女の声をピーターに相談すべきか判断できなかったからだ。相談できないとすればピーターが仕事に出ている間は自分一人でこの家にいなければならない。そうなれば、頼る人はいないと思ったからだ。バーバラがなぜあそこまで激昂したのか分からない中で、ピーターにこの話を切り出すことは出来なかった。

とりあえず様子を見ようと考えたマリアは、いつものように寝室に入った。今日はいつもの様にバーバラの声は聞こえないので、いつもより早い時間に眠ることが出来た。

翌朝、起きてこないピーターを寝室に呼びに行くと、彼は首を吊っていた。

新聞社のポールの話

バーバラに連絡が取れないので、とりあえずマリアは地元の警察に電話をした。ことの経緯を話すと警察はすぐに来てくれることになった。マリア一人ではピーターの遺体を降ろすことが出来ないため、申し訳ないと思ったが子供たちをリビングに留まらせることで精いっぱいだった。

ピーターの亡骸の近くにバーバラからの手紙が落ちていた。それを見た時、マリアは背筋が凍った。

マリアは私たちの秘密に気づいたかもしれない。そうなれば、あなたも私も豚箱行きよ。

マリアを殺すしかないと思う。それ以外に方法が思いつかないわ。

あなたのことは愛してる。帰ったらいつも通り楽しみましょう。

『秘密ってどういうこと?私を殺すって?冗談じゃない。でも何故ピーターは自殺したの?何がなんだか・・・』

マリアは不安と恐怖と混乱の入り混じる中で、とりあえずこの手紙は自分のポケットにしまった。そうこうしているうちに警察が到着し、ピーターの遺体を下ろした。一件は自殺ということで処理され、バーバラと連絡の取りようがないことを告げると、帰ってから葬式の手配をしてくれと頼まれた。

警察が帰った後、玄関のベルが鳴った。バーバラが帰ったかと思い一瞬寒気がしたが、玄関の向こうから聞こえたのは男の声だった。

『マックインさん、マックインさん?ポールです。ポール・ステファンです。』

声の主はピーターが広告を出すために訪れた、新聞社のテンガロンハットの男ポールステファンだった。ポールはバーバラが出てくると思っていたのかマリアを見て少しびっくりした様子だったが、遠慮もなく家の中に入ってきた。

『マックインさんはもう仕事ですか?警察とすれ違ったけど何かあったんですか?広告の件、まだ原稿をもらってなかったんで、こっちから取りに来たんですよ。あ、コーヒーは砂糖なしでお願いします。』

コーヒーを出すとは言ってないにも拘らずズケズケと話を進めるポールにマリアは少しためらった様子で『それが、ピーターさんが亡くなりまして・・・』そう告げると、テンガロンハットを脱いでポールはどういうことなのかとマリアに尋ねた。

『そうだったんですか・・・せっかくの契約が・・あ、いや、それは本当に残念な話ですね。で、タイミングよく奥さんも旅行に出てしまったと。で、あなたは?ベビーシッター?なんだそういうことか!もう決まっちゃったのか!』

ポールはピーターの一件よりも広告契約が無くなったという事がハッキリしたことに残念がっていた。ここに来た理由を失ったポールはブラックコーヒーを飲みながら、マリアを舐めるような目つきで見回した。

マリアはポールに対して警戒はしていたものの、ちょうどいいと思ってあの話を切り出してみた。

『あの、ピーターさんとバーバラさんについて何か知っていることはありませんか?昔何かあったとか、なんでもいいんです。ご家族について何か知っている事とかありませんか?』

マリアを厭らしい目で見ているポールに対して、そのくらいしか価値がないと言わんばかりに侮蔑の口調で尋ねた。するとポールはこんなことを話し始めた。

『マックインさんは昔から、代々大きな農場を経営してましてね。先代が無くなってすぐにピーターさんが責任者になったんですが、その前からうちの新聞社とは取引がありまして。ほら、農場のアルバイトとか肥料の買い付けとか、よく広告を出してもらうことが多かったんで贔屓にしていただいているんですよ。』

『家族という点で言えば、ピーターさんとバーバラさんとの間には娘さんがいるんですよ。確かシェリーっていう名前だったと思います。僕はあんまり会った事は無かったんですが、2年前に見かけたのが最後でしたねぇ。シェリーは、右手の甲に切り傷があって失語症を患っていること以外は、奥さんに似てきれいな顔立ちのお子さんでしたよ。』

過去形だったことがマリアは気になったので深堀して聞いてみた。

『あぁ、実はね1年前の話なんですが、シェリーが居なくなっちゃったんですよね。ご夫妻が仕事に行ってる間はおとなしく自宅で留守番出来るいい子だったので、どこかに出かけてしまったことは考えにくいと。でも近くは森があったり川があったり、子供が行方不明になる要素は揃ってるから、現状では行方不明ってことで落ち着いてるんですよ。夫妻もすごく心配しているんですが、どこかで生きてていつか帰ってくると思っているみたいですよ。まぁ、警察の捜査としては事実上打ち切りになってますがね。』

マリアは悟った。

恐らくシェリーの失踪にはマックイン夫妻が何らかの形で関わっているのだろうと考えられた。また、バーバラが残した手紙の『私たちの秘密』という点を考えれば、あまり良くない形で関わっているのではないだろうかと考えるのは自然なことだ。子供たちの朝食があるからとポールを追い返すと、マリアはバーバラが帰ってくるだろう1週間の間にその秘密を探ることを決意した。

里子たちの話

ポールを追い返したマリアはこの家の中で何ができるかを、子供たちの朝食を作りながら考えた。有力な情報が得られるかどうかは分からないが、子供たちにシェリーの話を聞いてみることにした。壁に掛けられたラジオでは相変わらず天気予報とクマ出没のニュースが流れる中、枕を抱えて起きだした子供たちの中からニクソンとブレンダに声をかけた。

『ねぇ、シェリーってお友達知ってる?』

マリアは可能な限りさりげなく、自分の注意はそこにないような素振りでふんわりと問いかけた。するとブレンダが驚くべきことを口にしたのだ。

『シェリーならいつも一緒に遊んでるじゃない。昨日も隣で寝てたよ。』

マリアは驚いてブレンダを二度見した。正直なところ行方不明になっているシェリーと同一人物なのかすら確信はなかったが、ブレンダのハッキリとした答えにもう少し踏み込んで聞いてみることにした。

『ああ・・そうだったわね。今日はシェリーはまだ起きてないの?』ブレンダをまっすぐ見つめながらそう言ったマリアにニクソンが答えた。

『彼女はいつも朝はどこかへ隠れているんだよ。どうしてかっていうと、ママが怖いんだって。シェリーは喋れないからいつもノートを持っているんだけど、ママにノートを捨てられちゃうんだって。だからママが居ない時に一緒に遊ぶんだ。』

驚いた。マリアはこの数日間シェリーという少女を見た記憶もない。無論、ここへ来たばかりで色々な事があったので子供たち全員の名前や特徴を覚えきれていないのも事実だ。ただ、ニクソンが言うようにママ–おそらくバーバラの事だろう–を怖がっているとしたら、シェリーはどこかに隠れているのだろうか。

『そうなんだ。今日はママが居ないからシェリーと遊ぶことが出来るかしら?シェリーは手に怪我をしていたわよね?どっちの手だったかな?絆創膏を貼ってあげたいのよね。』マリアは朝食を並べながらリビングを見回してみたが、シェリーと思しき姿はどこにも見当たらなかった。

家事を済ませてお昼を過ぎたころ、ブレンダを呼び止めてシェリーについて改めて聞いてみた。『ブレンダ、今日はシェリーと遊んだ?私もシェリーと遊びたいんだけどね。』

『今たぶんシェリーの部屋にいるよ。一緒に行く?』そういうとブレンダはマリアの手を取って階段を上り始めた。シェリーの部屋というのは、もしかして夫妻の寝室の隣の例の部屋なのか、以前にあの部屋に入った時には人影は見えなかった。今はただ、ブレンダについて行くしかなかった。

『シェリー?シェリー?どこにいるの?』

ブレンダがそう声をかけると、かすかにキーッっという音を立てながらクローゼットの扉が少しづつ開いた。マリアは少しドキドキしたが、開いたクローゼットに目を奪われた。半分ほど開いたクローゼットから現れたのは、瘦せてしまってはいるが白いワンピースが似合う、バーバラに似た整った顔立ちの少女だった。ニクソンが言った通り、ノートを抱えてクレヨンの箱も一緒に持っていた。

『シェリー、お腹空いてない?』

マリアはまるで、今までもシェリーの存在を認識していたかのような言い方で声をかけた。シェリーは小さくうなずいてその場に座り込んだ。マリアがシェリーに歩み寄ると、クローゼットの中は衣服が掛けられているがそれなりに広く、子供が過ごすには問題ないくらいの大きさだった。しかし、窓もなく夜になると真っ暗になるので、この中でバーバラの目を避けていたのかと思うとシェリーが不憫でならなかった。実の母親に怒られるのが嫌でほかの子供たちとも満足に遊ぶこともできず、真っ暗なクローゼットで一人眠っていたのかと思うと、マリアは少し涙ぐんだ。

『シェリー、一緒に積み木で遊ばない?』マリアは、シェリーが頷いて答えられる形で質問した。シェリーは少し目を見開いてかすかに明るくなった表情で大きく頷いた。

ほかの子供たちと共に遊んでいると、シェリーはマリアの傍に寄って来た。抱えたノートを開いてクレヨンで何か書いているようだった。ノートをひっくり返してマリアに見せると、そこには『ありがとう うれしい』と書かれていた。

マリアは他の子どもたちの目を気にしながら、シェリー自身のことについて尋ねてみた。

『いつもクローゼットの中にいるの?』シェリーは縦にうなずいた。

『ご飯はどうしてるの?』シェリーは遊んでいるニクソンやブレンダを指さしてからその指を自分の方へ向けた。どうやら彼らが自分のところへ持ってきてくれるという事らしい。

『パパやママは嫌いなの?』マリアが尋ねるとシェリーの顔は一瞬強張ったが、シェリーはノートを開いてまたクレヨンをつかんだ。マリアに見せられたノートには『パパ 好き 優しい ママ 怖い 痛い』と書かれていた。これ以上小さなシェリーにバーバラについて聞くのは可哀想だと思ったマリアは『夕飯は何が食べたい?』と話をすり替えた。

シェリーの反応と『ママ 怖い 痛い』という文章から、マリアはシェリーがバーバラから虐待を受けているのではないか、それが理由でバーバラの前には姿を現さず、クローゼットの中で1日のほとんどを過ごしているのではないか、バーバラの虐待の事実を隠すためにクローゼットにいるシェリーを好都合としてピーターとバーバラはシェリーを失踪したことにしていたのではないかと考えた。

そう考えると優しさを感じたピーターにもなぜ隠蔽したのかという怒りが込み上げてきた。それでも、今はシェリーに少しでも明るくなって欲しいという思いから、シェリーが食べたいと言ったハンバーグを作ることにした。

後編に続く

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