【第16話】絆のリボン -後編-

オリジナル小説作品
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怪しげな人影を見つけて警察を呼んだ彩子。息を殺してその人影を追ったものの正体は分からなかった。警察が病院に到着しホッと胸を撫で下ろすが、本当の恐怖はここから始まるのだった。

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侵入者は……

突然、警察官が身に着けていた無線機が鳴り響いた。そこから聞こえたのは裏口で不審な女を発見したという内容だった。その報せを聞いた警察官の後を追って彩子も裏口へと急ぐと、そこには警察官が誰かと一緒に立っていた。

「裏口に回ったらこの女が出てきたので事情を聞いていたのですが、自分はこの病院の関係者だと言うのです。確認していただけますか?」

警察官が照らすライトの先を見た彩子は思わず笑って答えた。

「やだ、その方はこの病院の婦長さんですよ」

「ああ、婦長さんでしたか、これは失礼しました」

「誤解が解けたのなら良かったです。けれど、どうして警察の方が?」

婦長は状況が呑み込めない様子で彩子に尋ねると、彩子は簡単に事の経緯を婦長に話した。

「実は新生児室に誰が忍び込んでいたみたいで、もしかして西野さんでは……と思って通報したんです」

「まさか! 新生児室に西野さんが?」

「怖くてはっきりと確認していないんですが……婦長は今ここへ?」

「ええ、そうよ。あなたと横井さんに差し入れでもと思って……」

「横井さんに?」

横井というのは彩子と一緒に当直をするはずだった看護婦だが、婦長の口ぶりでは彼女が事故に遭い、彩子が一人で当直をしていたことは知らないようだ。

婦長は何も知らないまま単純に差し入れに来てくれたのかとも彩子は思ったが、ふと、婦長の服に違和感を覚えた。

「婦長、それは……?」

彩子は婦長の腰のあたりを指差して尋ねる。婦長の服にはキラキラと光っている星型のシールが付いており、それに見覚えがあった私は混乱した。

「そのシールは……小山さんの、小山さんの娘さんがリボンに貼って……今日産まれたあの子に結んだものですよね?」

婦長の服に張り付いている可愛らしいシールは、先日入院した小山という妊婦が『絆のリボン』へ名前を書いていた際、同席していた小山の娘が貼ったものだった。その場に彩子も立ち会っており、小山の娘は間もなく自分が姉になることを楽しみにし、無事に産まれてくることを願って貼っていたものだった。

微笑ましく思った彩子が小山の娘に話しを聞くと、家族旅行の土産に買ってもらった特別なもので、今度産まれてくる子と一緒に旅行へ行きたいという希望を込めたそうだ。

「どうして……そのシールが……?」

彩子はまとまらない思考を無理矢理にでもまとめようと頭を働かせる。

そのシールが婦長の服に付いているということは、あのリボンを触ったということで……。あのリボンを触ったということは、新生児室に入っていたということで……。先程まで新生児室には誰かが居て、今は居なくて……。

2人の様子を不審に思った警察官は婦長に向き直り、一旦身分証明書の提示を求めた。婦長は警察官からの催促でようやくハンドバッグに手をかけたが、何かを思い出したようにぴたりと動きを止めた。まるで何かを隠そうとしているような気配に警察官は目を光らせた。

「申し訳ないのですが、バッグの中身を改めさせていただけますか?」

「どうして? 私の身分証明書があれば十分でしょう?」

「一応です。ご協力お願いします」

警察官はあくまでも任意と強調したが、このままだと警察署への同行を求めることになると言われた婦長は観念してバッグを差し出したが、その表情は浮かないものであった。

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見つからない真実

警察官の一人がライトを照らし、もう一人がバッグの中身を検めた。彩子も後ろから覗いていたが、ふと、警察官がバッグの中から小さな何かを摘み上げた。その手にあったのは、彩子がいつも見ている新生児の手首に着けるためのタグだった。

「これは何ですか?」

警察官の質問に婦長は黙っていた。警察官は彩子にそのタグを確認するように見せた。それはまさしく、病院で産まれた新生児に着ける取り違え防止用のタグであり、小山の名前が書かれている。

「まさか……婦長が……」

彩子は事実が恐ろしくなり、それ以上言葉に出せなかった。信じたくない事実に愕然としている彩子に対し、婦長は笑顔で弁明し始めた。

「やだわ彩子ちゃんったら……私が赤ちゃんを取り替えていた犯人みたいな顔をしちゃって。これは外れそうになっていたのを見つけたから付け替えたのをうっかり持ってきちゃっただけよ」

婦長は笑顔だが視線が定まっておらず、いかにもこの場を切り抜けようとしていることが分かるからだ。

「あのタグが外れそうになることなんて今まで一度もなかったと思います……。それに、タグを取り替えただけならリボンまで触らなくていいじゃないですか……」

絞り出すような声で尋ねると婦長は不敵な笑みを浮かべて、今度は警察官に話し掛けた。

「この子最近困った患者さんに当たってしまって疲れているんですよ。だから周りのことも信じられなくなってるのね……」

婦長の口振りは、まるでおかしいのは彩子の方だと言っているようだったが、論点をズラそうとした婦長の話を遮り警察官が問いかけた。

「話が進みませんので一度署の方にお願いできますか?」

「なぜ? 私は自分の職場にいただけで捕まらなきゃいけないの?」

「いえ、捕まえるわけではなく、落ち着いて話をお伺いしたいだけですよ」

「それじゃあここでもいいじゃない! とにかく、私は関係ないわ!」

途端に婦長の様子は一変し、これまで浮かべていた不気味な笑顔もすっかり消えてしまった。

「私は犯罪者じゃないわ! 西野さんの方が絶対に怪しいからあの人を捕まえたほうが良いわよ!」

「西野さんとはどなたですか?」

ゆっくりとした口調で警察官が婦長に尋ねた。

「うちの病院が赤ちゃんの取り違えをしたって苦情を言ってきて、最近は旦那にも出ていかれて狂っちゃった女よ! 遺伝子検査までして自分の子供だって判定が出たのに嘘だって決めつけて子供を置いていっちゃったんだから」

「置いていかれたその子は今どこにいるんですか?」

「…一晩だけうちで預かることにしたんです。一晩したら思い直して取りに来るかもしれないでしょ?」

婦長は用意していたかのように滔々と説明したが、彩子にとってはその言葉が全て嘘にしか聞こえず、どうにかして自分の手に付いたシールや隠し持っていたタグから話題を逸らそうとしているようにしか思えなかった。警察官は次々に婦長へ質問をするが、その全てが予め準備していたセリフをそのまま口にしているような違和感があった。

何がどうなっているのか、現実が把握できない彩子は婦長がいつの間にかはたき落としていたシールを拾い、もう一度問いかけた。

「婦長、どうしてこのシールがあなたの服に付いていたんですか?」

「しつこいわね。なにかのはずみで付いたんでしょ」

「そんなはずはありません。だって、あの子達は基本的にお母さんや家族の方しか抱っこしませんし、あのリボンを私達が解くことも絶対にないじゃないですか……」

「だから、解けかかっていたのを見つけて結び直しただけよ」

「それはいつのことですか?」

「お昼の仕事中に決まってるでしょ? あ、あの時彩子ちゃんはちょうど半休を取って帰っていたんだっけ? だったら知らなくても仕方ないわよね」

婦長は逃げ道を見つけたと確信したのか、自信を取り戻したように軽い口調に戻って笑顔を浮かべたが、彩子は決定的なことに気づいてしまった。

「……仕事中は制服を着てるじゃないですか。今の婦長が着ているのは私服ですよね? 仕事中にそのシールが付いたのなら、制服についていなければおかしいですよ……」

「それ……は……」

言葉を詰まらせる婦長を見て、彩子の眼からは涙が溢れて止まらなくなった。明らかになってしまった婦長の関与と、尊敬していた婦長に裏切られ、それに気づかず安心しきって頼っていた自分への不甲斐なさ、取り違えの真相など様々な事が頭を過ぎった。

「ど…どうして婦長が……」

現実を受け止めきれずに尋ねてみたが、婦長はバツの悪そうな顔で言い訳を探していた。この期に及んでまだ自分の罪を認めずに逃げ道を探していた。その姿を見た彩子は、これまでの婦長は偽物であり、自分は騙されていたに過ぎないことを思い知らされるばかりであった。

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夜明けと共に……

婦長が連行された後、彩子は仕事も手つかずであったが、幸いなことに特に問題も起こらず朝になった。引き継ぎに来た同僚に昨晩の事情を話すと驚かれたが、さすがに赤ん坊の取り替えを行っているかもしれないということを彩子の口からは言えなかった。

ふらつく足取りの彩子はようやく自宅へ戻り、ベッドへ横になったが、一向に眠れる気配はない。ショックで呆然とし、天井をぼんやりと眺めているところに同僚から急いで来てほしいと電話がかかって来た。

彩子が電話口で事情を聞かなかったのは、その内容を聞かなくても分かったからである。重い体を起こし、身支度もそこそこに病院へ向かった。病院へ到着すると、休診日でもないのに玄関には休診の看板が立っており、ひっそりとしていた。

関係者入り口から入って詰所に入るが、そこにも誰の姿も見えない。ぼんやりと立ちすくんでいると、新生児室に集まっていた母親たちが彩子を見つけて一斉に集まり、口々に質問してきた。

「ねえ! 昨日の夜警察が来てたでしょ? あれって何だったの?」

「どうして今日は病院お休みになってるの? 何か事件があったの?」

次々と向けられる問いかけに彩子は答えることができなかった。なんとなく事情は把握している彩子であったが、それを言いふらして利用者の不安を煽ってしまってはいけないと考えたのだ。

「後できちんとご説明しますから、今は勘弁して下さい」

それだけ口にしてその場から逃げた。誰も追ってくることはなかったが、病院を利用してくれている人たちのこれからを考えると不安が襲う。関係者を探して事務室へ向かってみると、その部屋に数名が揃っており何やら話していたが、そのうちの一人が彩子を見つけると手招きした。

「あっ、彩子さん! 大変な事になったわねぇ……これからどうなるのかしら」

彩子を見つけて話し掛けてきた同僚も今後のことを心配している様子だ。

「本当に……大きなニュースになって病院の継続ができなくなるかもしれないわ……」

何気なくそう言うと、同僚は眼を丸くして首を振った。

「できなくなるかも、じゃなくて確実にこの病院は潰れちゃうわよ! だって医院長先生も連れて行かれちゃったんだもの!」

「医院長先生も? それは……病院の責任者だから事情聴取は受けるんじゃないの?」

「どうも違うらしいわよ? 医院長と婦長はグルだったみたい」

思わず叫んだ彩子だったが、どうやら他の関係者達はすでに何か知っているようだった。

「彩子さん気が付かなかったの? 医院長と婦長って何年も不倫関係を続けていたのよ」

彩子から見て医院長と婦長は信頼し合っている長年のビジネスパートナーだとばかり思っていた。まさか男女の関係だとは気付かなかった彩子はショックを受け、どこからどこまで驚けばいいのか、ただ呆然とするばかりだ。

関係者が各々話していると、警察と行政の職員が事務所を訪れた。これから病院は営業停止になること、現在入院している患者は近隣の産婦人科へと移転されるので、その手続を早急に行うことなどが説明された。彩子はまだきちんと働かない頭で、同僚たちに続いて書類を作成したり、電話対応をしたり、詰め寄る入院患者に一日中頭を下げ続けた。

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生活が一変

へとへとに疲れた彩子は帰宅して気絶するようにベッドに倒れた。それでも長年の習慣で、いつも通りの起床時間に目を覚ましてしまった。朝日を眩しく感じながら、彩子はテレビの電源を入れると、自分の病院が報道されていた。

『産婦人科で新生児取り替え事件発生!』

どこか夢を見ているような気持ちでそのニュースを聞いていたが、アナウンサーが話す内容は、彩子も知らされていない事ばかりだった。

  • 医院長は多額の裏金をもらい、依頼者が希望する性別の赤ん坊と取り替えていた
  • 取り替えの実行犯は婦長で、医院長と不倫関係にあった
  • 取り替えは数年前から行われており、不審に思った親が意見すると遺伝子検査を勧めるが、その検査も医院長の息がかかった機関で行われていたので、書類を偽造していた

事の発端は婦長が新人看護婦として勤務し始めたころに遡る。新人であることと連日の激務から、ある日婦長は新生児の取り違えをしてしまった。対象となった新生児は同姓であったため親から指摘を受けることは無かったものの、全てを知られていた医院長に強請られ言いなりになるとともに肉体関係を結んだ。

病院がある地域では世襲制が強く、男児を求める親が多かったころから委員長はそれで一儲けできると企んだのだ。医者として成功した医院長は専門機関も牛耳って、自分たちの悪事を隠蔽し続けた。いつの頃からかこの悪事が常態化して、実行犯としての駒が婦長だったのだ。

一連の報道を終えた後、中継で騒ぎ立てるマスコミの中心に見知った顔が立っていた。それは西野だった。西野はマスコミに囲まれながら、自分も取り替えの被害に遭ったと声高に話している。テレビの中で話す西野は、しきりに病院を糾弾し、子供を返してほしいと訴えている。

耐えきれなくなった彩子はテレビを消したが、頭の中ではまだ西野の声や報道アナウンサーの声、そして婦長や医院長の声がこだまして不協和音となり響き渡った。重い足取りで自宅を出て病院に到着すると、病院前は見たことがないほどの人で溢れていた。

マスコミは通りすがる人全員に話を聞いており、利用者や近隣住民らしき人々は不安と怒りをぶつけていた。マイクを向けられた彩子がインタビューを断ろうとした矢先、野次馬の中から『それはここの看護婦だ!』と叫んだ事で周囲のマスコミが一斉に取り囲み、身動きも取れなくなってしまった。

彩子は気が遠くなるのを堪えながらなんとか病院内へ入ったが、病院にはまだ入院中の妊婦や新生児を抱いた母親たち、そして報道を聞いて駆けつけた家族が揃っていた。報道陣からどうにか逃れた彩子だったが、再び心無い言葉をぶつけられ、精神が追い込まれるのが自分でもわかった。

そんな人々に対して彩子ができるのは、冷たい廊下に膝をついて額を付けて謝罪することだけだった。外ではカメラのシャッター音やフラッシュの光があちこちから浴びせられ、窓の隙間からこの状況を撮影していることが分かる。

彩子は頭を下げたまま今後のことについて説明を行い、すぐに転院できるように手続きを進めることを約束すると、ようやく解放された。その日は、事務所でも詰所でも職員は一日中電話対応に追われており、看護婦で分担して行うはずの転院のための書類作成業務はほとんど彩子が引き受けることになってしまった。

夜になると、病院を見物に来ていた野次馬はいなくなったものの、マスコミは未だ張っており、帰宅する病院関係者を捕まえて話を聞き出そうとしているようだ。車で迎えを呼べる者は連絡をして、裏口から車で急いで帰ったが、彩子にはそんなつてがなかったため、当直を引き受け、病院に泊まることにした。

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真相、そして……

このような病院では妊婦や、出産したばかりの母親が不安になってしまうという理由で転院手続きを踏まず出ていった利用者は多く、消灯時間を迎える頃には数人しか病室に残っていなかった。すでに出産していた母親は新生児室から自分の子供を連れ出す際に、何度も念入りに確認をし、足に巻いた『絆のリボン』は無惨にも床に捨てて行った。

彩子は床に散らばったリボンを泣きながら一つずつ拾い上げ、何度も何度も謝ったが、脳裏に浮かぶのは怒りに震える利用者の顔だった。消灯後に着手しようとしていた転院手続きの書類も不要になり、やることが無くなってしまった彩子は詰所の椅子に座って静かに涙を流していたが、不意に電話が鳴った。

考える気力も無くなっていた彩子は無言で受話器を取った。電話口からは愉快そうに笑いながら話す西野の声が響いた。

『大変な事になりましたね……けれど誤解しないで下さい、私はまだ世間に公表していないんですよ? だから私を責めるのはご勘弁下さいね……。それと、そちらに預けている私の子供はどうしているでしょうか? もう一度改めて遺伝子検査をしたいので、明日にでも返してもらいますから……』

一方的にそう話して電話は切られた。彩子は受話器から聞こえる不通音を聞きながら泣くばかりだった。当然一睡もできず朝を迎えると、大勢の警察が病院へやって来て証拠品の押収を始めた。彩子や他の職員はただ眺めているばかりであったが、警察官の一人が彩子のもとへやって来た。

「婦長の話によると、任意同行した日にも取り替えを行っていたようですので、確認をさせてください」

もう驚く力もなく、ただ言われるまま未だ病室に残っている数人の母親たちに頭を下げて事情を説明して検査や確認を行うと、婦長がタグを持っていた小山の子供が入れ替えられていたことが発覚した。

小山は病院に残っていた数人の一人なのだが、彩子が頭を下げて事情を説明した時も、彩子は悪くないと庇って、転院手続きをよろしく頼むと丁寧に申し出てきた人物である。

病院側の大失態を非難するどころか、彩子の心身を案じて励ましてくれた小山にその事実を聞かせるのは酷だった。警察から事情を聞かされた小山は何も言わず、彩子の謝罪をじっと見ていたが、その顔に怒りはなく、ただ悲しみだけが浮かんでいた。

「どうして……どうしてそんなことが出来たんですか? 私は確かにあの子を産んで、この手で抱いたのに、いつ変わっていたんですか?」

小山からの問いかけに警察は少しだけ事情を説明した。婦長は医院長から取り替えの指示を受けると、依頼者側の出産に合わせて適当な人へ陣痛促進剤を投与し、強制的に出産日を合わせた。婦長は必ず分娩に立ち会い、自らが取り上げて逆の性別が産まれたと母親に伝えるのである。

西野の出産時も、婦長と医院長は、彩子ともう一人の看護婦に、顔色が悪いから点滴や道具を用意しろなどと言い、とにかく赤ん坊の側に寄せ付けないようにしていたことを彩子は思い出す。彩子は言われた通り、点滴をしたり汗を拭いたりしている間、婦長は産湯などを済ませて服を着せた状態で母親に会わせ、その日の夜に依頼してきた人物との子供と入れ替えを行ったというのである。

彩子は知らないうちにそんな犯罪に加担してしまったのかと思い、警察の方に自分は罪に問われないのか尋ねたが、知らなかったのなら問われることはないが、裁判には呼ばれるだろうと説明された。

西野からの電話があったことを伝えると、警察の方で対応してくれるらしく、西野が連れていた赤ん坊も現在は警察に預けられていることを知った。どうやら医院長と婦長は西野が置いていった赤ちゃんも誰かに売ろうと考えていたようだ。

今まで信じていた全てに裏切られたような気がした彩子は、この病院だけでなく看護婦として生きていくのを辞めようと思った。彩子に出来るのは、どうか、取り替えられた子供と本当の両親が元に戻りますようにと願う事だけだった。

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終わらない悪夢

それから1年が過ぎ、彩子は看護婦を辞めて遠く離れた場所に引っ越し、地元のスーパーで働いていた。裁判が始まり、彩子も何度か証人として呼ばれたが、裁判所で見た元医院長と元婦長は自分がこれまで信頼していた頃の面影はなかった。

2人は彩子と目も合わせず、お互いが罪をなすりつけ合っていた。一連の出来事があってから彩子は人目を避けて生活していたが、どこから嗅ぎつけたのか未だにマスコミが彩子に連絡を取ろうとしており、全て断っていた。

ある日、彩子が仕事から帰宅すると、部屋の前で見知らぬ男が立っていることに気付いた。またマスコミの人間かと思い、彩子は無視して部屋に入ろうとしたが、肩を掴まれた。今までマスコミは無視をすればそれ以上追いかけてくることもなかったため、彩子は驚き、振り返った。

「何をするんですか!」

「悪いようにはしません。あなたのプライバシーはお守りします。ただ少しでいいので、あの病院や患者のことを話してほしいんですよ」

その男はにやにやしながらゴシップ誌を取り出して彩子に見せたが、彩子は興味がないと突き返した。

「私はもう看護婦ではありませんし、あの方たちとは関係もありません」

「では、せめて赤ん坊の取り替えを依頼した側の家族について話してもらえませんか? 大金を払って犯罪を犯してまで子供の取り替えをしたいってどんな理由があったのか気になりましてね」

「知りません! 何も覚えていません! 手を離さないなら警察を呼びますよ!」

彩子が叫ぶのもお構いなしに男は話を続けた。

「まあまあそう言わないで。そうですね、一番お金を積んでた西野って人の話だけでも聞かせてくださいよ。あの奥さん、最初は被害者みたいな顔でインタビューを受けてたのに、自分の旦那が依頼者側だったと知った途端雲隠れしたでしょ?僕たちも参ってましてね」

彩子は一瞬顔を曇らせたが、もう過去の事だから自分には関係ないと男を振り払おうとしたが、立ち去る彩子の背中に男が一言投げかけた。

「いや、関係ないはずないんですよ。私が聞きたいのは西野さんの事じゃないんです。依頼者の旦那さんは、あなたの同僚の横井さんと不倫していたんですよね?」

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