【第7話】悲劇の連鎖 -後編-

オリジナル小説作品
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普段はタクシーで向かうスーパーへの買い物を、運動不足解消のため歩いて向かった美智子。雑踏の中で見かけた夫は知らない女を連れていた。聞こえてしまった夫の心無い一言から、美智子の心は崩れ去る寸前で新興宗教のポスターに救いを求めた。

教祖と呼ばれる男から『特別な存在』であることを告げられた美智子は、さらにのめり込んでいくと共に、その人生を大きく変えていくことになる。

教祖の言葉

願叶道の教祖に特別講義を受けることになった美智子は、家を空けることが多くなった。それでも、経済的には余裕のあった美智子は更に家政婦とベビーシッターを雇い、夜までには帰宅することで宗教通いはまだ夫にはバレていなかった。教祖の男からの『特別講義』ももう1か月以上になっていた。

ある日、特別講義を受けるため向かった先で、教祖の男はこんなことを言ってきた。

『今日は、山田さんの心を整理する講義です。それは、”信じているもの”と”信じられないもの”を区別することです。』教祖の男は唐突に話し始めた。信じているものと信じていないものを区別することで、今自分がどのような状態にあるのかということを客観視する必要があるというのだ。

さらに教祖の男は次のように続けた。

『それに、”信じられないもの”を捨てる勇気を持つ必要があります』

『捨てる』という言葉に美智子は少しドキッとしたが、教祖の男の言うとおりに自分の心を整理した。今美智子が信じられるのは、『願叶道』『子供』『お金』、信じられないものは『夫』『実家』『友人』だった。教祖の男は美智子が話し始めると、信じられない一言を美智子に告げた。

『信じられないものを捨てることで、信じられるものに対しての信じる力が強くなります。今ここで信じられないものを捨てる決意をしましょう。』教祖の男は椅子に腰かけた美智子の手を取って力強くそう言い放った。新興宗教によくある外部との関係を遮断する方法ではあるが、美智子にはそれが必要な行動であるように思えた。

『いや・・・でも夫を捨てるなんて。実家を捨てるなんて・・・どうやって・・・』

美智子が口ごもると、『心の中で区別するのです。優先順位を明確にすることが重要です。』と教祖の男は美智子に促した。『捨てる』という言葉に少し物怖じしていた美智子は、心の中で区別するという比較的安易な方法であることに安堵した。

『ただし、強く念じるのです。自分は、人生を変えるためにそれらを捨てるのだと、心に誓うのです。人は自分の誓いに嘘はつけません。人生を変える信念から、それを阻害するものを排除するのです。』教祖の男は美智子の手を先ほどよりも強く握りながら、太く大きな声で美智子にそう語りかけた。

『・・・はい。わかりました。』少しの間を開けたが、美智子は教祖の男に言われた通り、心の中で『夫、実家、友人』を捨てることを、人生の優先順位から除外することを強く心の中で念じた。この段階で美智子は、教祖のマインドコントロールに完全に掌握されていた。

『よし、今日はお疲れでしょう。この辺で終わりにしましょうか。よく頑張りましたね。』教祖の男はそういうと、ジャスミンティーのような香りのする紅茶を美智子に差し出した。美智子はそれを少しづつ飲んで、深呼吸をして教祖の男に一礼した。

自宅へ帰るタクシーの中で美智子の心は揺れていた。車窓から見える街中はキラキラしていて、美智子には少し羨ましく思えた。しかし、今自分は変わっているのだという思いが、美智子の中には沸々と湧き上がっているのも事実だった。

自宅で夕食の準備をしていると、夫がいつもより少し早く帰ってきた。『おかえりなさい、今日は早かったのね?』まるで女優のような抑揚で美智子が話しかけると、『ちょっと話がある』と夫は吐き捨てた。ダイニングテーブルの椅子へ腰を掛け、鞄を脇に立てかけると夫は1枚の紙を取り出してダイニングテーブルに置いた。

『これはどういうことだ?口座の金がほとんどなくなっているじゃないか?何に使ったんだ?』夫は語気を強めて美智子に問いただした。家政婦とベビーシッターは状況を察したのか、別の部屋へ音もなく出ていった。願叶道の勉強会はクレジット払いが出来たが、『特別講義』は現金を教祖の男に手渡しであったため、口座から金を引き出す必要があり、夫がそれに気づいてしまったのだ。

『信じるために、優先順位をつけるのです。』教祖の男の言葉が頭をよぎった。

『それは、自己啓発の勉強会に行き始めたから使ったの。相談しなくてごめんなさい。』美智子は無断で使ったことは謝罪したが、使ったことに関しては夫に隠すことはしなかった。それ自体は咎められる必要がないと思っていたし、何よりも美智子には『優先順位』があったからだ。

美智子は、母親から教えられたように金の管理は口座を複数に用途別に分けていたため、夫から指摘された口座以外で生活は問題はなかった。夫としても、美智子の結婚前の財産が現状の生活の根幹であるため、文句は言ってきたもののそれほど強気に出ることは出来なかった。気まずい雰囲気の中夕食が終わり、二人はそれぞれ別の部屋で就寝した。

優先順位

次の日も特別講義の予定だった。到着した美智子を教祖の男は部屋へ通すと、ジャスミンティーのような香りのする紅茶を美智子に差し出して、おもむろに口を開いた。

『おはようございます。山田さん、今日はあなたの訓練の成果を確認する日です。』とポツリと言った。それを聞いた美智子はギョッとした。なぜなら、教祖の男はいつもの紫色のロングコートではなく、全裸だったからだ。

『え、いや、どういうことでしょうか?』美智子は目をそらしてそう答えたが、教祖の男は冷静に語り出した。

『山田さん、きっとあなたは今私を見て疑いの心があるでしょう。こんな状況で何を確かめるのかと。その疑念がなくなったことが確認できればあなたは次のステージへ行けるのです。さぁ、確認しましょう。』

戸惑いを隠せない美智子だったが、体が思うように動かない。意識が朦朧としている中で、体温が上昇しているのがわかる。到着後に差し出された紅茶に薬品が入れられていたのだ。なされるがまま服を脱がされ、床に倒れ込んだ美智子はなすすべがなかった。教祖の男は獣のような姿で美智子に覆い被さり、二人は肉体関係を結んだ。

事が終わると、教祖の男はこう呟いた。

『山田さん、合格です。あなたは信じる力が付いてきている。きっとこれからの人生は明るく素晴らしいものになると思います。私を信じなさい』

小さく頷いた美智子だったが、美智子には一つ不安があった。それを察した教祖の男は『どうしましたか?』と声をかけた。教祖の男は、行為に及んだことを周りにバラされるのではないかと内心焦っていた。しかし、美智子の不安は別のところにあった。

『実は、昨晩帰った後に夫からお金を使い過ぎだと注意されまして。私としてはこのまま勉強を続けていきたいのですが、確かに使っているお金は夫との共同財産なので、私だけの独断で使い続けるわけにもいかなくて、私、どうしたらいいのか・・・』

教祖の男は、今日の『特別講義』について何も触れてこなかった美智子の言葉に『しめた』と思いながらも、顔には出さないよう最大限の努力をした。そして、美智子に対して驚愕の一言を言い放ったのだ。

『・・・旦那さんを殺しなさい。それが必要だと信じれば、悪ではないのです。さっきも、きっとそうだったでしょう?』

もっともらしく教祖の男は言い放った。さすがの美智子も『殺す』という言葉には抵抗があった。しかし、度重なるマインドコントロールと、特別講義のたびに仕込まれていた紅茶の薬品によって美智子は完全に理性を失っていた。まるで、教祖の男のその言葉が、神のお告げであるかのように感じていた。

その日2回目の『特別講義』を終えると、美智子はタクシーで帰宅した。いつも通り平静を装っていたが、夫を殺すには家政婦とベビーシッターを帰らせる必要があった。都合のいい理由を伝えて二人を返すと、夕飯を作るために台所へ立った。夫の好きな肉団子を作った。

教祖の男から受け取った麻薬の粉を入れて。

夫の帰りは少し遅かったが、夕飯は二人で食べた。何も知らずに肉団子を食べた夫は突然痙攣して泡を拭いて床に倒れ込んだ。しばらくすると動かなくなったので、用意していたロープで夫の首を美智子は締め上げた。呼吸がないことを確認して、冷たくなった夫の体を庭まで運んだ。美智子は少し手間取ったが、大きな家で塀も高い庭の中で、夫を埋めるための穴を掘るのはそれほど難しくはなかった。

次の日の朝、家政婦とベビーシッターには、夫は海外出張になりしばらく家を空けることになったと告げた。疑いもなくいつも通り二人は仕事を始めた。美智子は『優先順位』に従って、タクシーに乗り込むと教祖の男が待つ場所へ赴き、今日も体を許した。そんな日々が3週間ほど続いた。

夫を殺して1か月が経とうとした時、教祖の男も団体も連絡が取れない日々が続いた。仕方なくぼんやりとしながら家で一人やることもなく時間を過ごしていた美智子はテレビを観ていた。ふいに、ワイドショーの速報で流れたニュースに美智子は自分の目を疑った。

『新興宗教団体、詐欺容疑で家宅捜索。教祖の男を逮捕』

美智子がくぎ付けになったのは、逮捕された男の顔だった。教祖の男だった。まさかとは思ったが、ニュースをしばらく眺めていると確かに願叶道の名前が報じられている。信者から多額の金を巻き上げて、効果のない勉強会を実施していたということで詐欺容疑の告発を受けたらしい。

美智子が耳を疑いたくなったのは逮捕された男の供述だった。

『信者からなかなか金が引っ張れなくなった。団体の経営がうまくいっていないことはわかっていた』

結局、自分が救いを求めた願叶道も、ただの詐欺集団だったのか。これまで自分が多額の金をつぎ込んだあの勉強会は何だったのか。特別講義として教祖に弄ばれた体は何だったのか。

きっと、自分の財産を目的に『特別』という言い方をしたのだろう。この時ばかりは美智子は自分の直感を『信じた』。それと同時に美智子は人として壊れてしまった。

実はこの時、子供を身籠っている事が分かっていた。夫とは全くだったので、恐らく、あの汚らしい教祖の男の子供だろう。子供に罪はない。そう思うと、美智子には産む以外の選択肢がなかった。

不遇な子供時代を過ごし、やっとの思いで手に入れた幸せな家庭生活。それすらも上手くいかなくて、縋りついた新興宗教も結局は全て金の為のまやかしだった。そんなまやかしの為に、自分は夫を手にかけてしまった。もう何もかも失ってしまった。

人としての尊厳や女としての輝きもすべて。唯一残されたのは幼い二人の我が子だけ。そうだ。これからは、この我が子と自分のために生きよう。信じることが全てだ。美智子は狂ったようにそう呟くと不敵な笑みを浮かべながら、夫を埋めた庭を見つめていた。

あなたを守る

それからというもの、美智子は変わってしまった。

以前は人を信じることが出来ず塞ぎがちな性格で、どちらかというと何事にも遠慮しながら生きてきた。今は、他人を信じない事だけは変わらないが、自分が幸せになるための犠牲はいとわなかった。美智子は自分の人生をやり直すために、『復讐』から始めた。しかし、夫を殺してしまった以上、再び自分の手を汚すことはしたくなかった。それは、自分が求める人生ではないと美智子は考えていた。

美智子は町の本屋や図書館を巡り歩き、呪いについての本を片っ端から読み漁って知識を習得した。今自分が置かれた状況の中で実現可能な呪いがないか、血眼になって調べ上げた。たどり着いたのは、『藁人形の呪い』だった。藁を束ねた人形、五寸釘、相手の顔写真、相手の髪の毛や爪、名前と生年月日を書いた紙、それと実際に儀式を行う際に使う手袋、これがあれば実施が可能だと美智子は考えた。

呪いをかける対象は『母親』『教祖の男』『夫の不倫相手』の3名にした。いづれも準備物としては問題がなかったからだ。

夜中の神社に響き渡る釘を打ち付ける甲高い音と、美智子のケラケラとした笑い声は、静まり返った静寂の中で不気味にこだましていた。その様は、とても幼子を抱える母親とは思えず、形相は般若のような恐ろしい顔をしていた。

美智子が恐怖の儀式を終えて2週間ほど経ったある日。実家から一本の電話が入った。家政婦が電話に出ると、慌てた様子で美智子を呼びに行った。美智子は生まれたばかりの次男をベビーベッドに寝かせて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で何かブツブツと喋っていた。

家政婦から伝えられたのは、実家の母の死だった。

『奥様、実家のお母さまがお亡くなりになったようです・・・』家政婦がそう告げると、美智子はブツブツ言っていたのを止めてスッと立ち上がると、『あら、それは残念だわ。葬式にはいけないって伝えて頂戴。子供が小さいからって言えばわかってもらえると思うの』と家政婦に指示した。家政婦とは目も合わせないまま、美智子は一点を見つめながら言った。家政婦は『わかりました』というと、気味が悪かったのでさっさと電話口へ戻っていった。

家政婦が居なくなった部屋の中で、美智子は満面の笑みで呟いた。

『やっぱり、信じれば願いは叶うのよね。思いは通じるの。でも、ずいぶん時間がかかったわね。ほかの二人はどうなっているかしら・・・フフフッ』悪魔のような言葉を口にした美智子だったが、ベッドに寝かされた赤ん坊は、何も分からないままスヤスヤと寝ていた。部屋の中には赤ん坊をあやすおもちゃがベッドの上でカラカラと回っていた。

母の遺産が入ったことで、未亡人となった美智子でも苦労なく子供二人を育てることが出来た。進学校に通わせ、いづれの息子にも勉強熱心に美智子は教育した。また、美智子は次のように息子たちに繰り返し教え込んだ。

  • 欲しいものは絶対に手に入れろ
  • そのために邪魔するものは徹底的に排除せよ
  • 強い思いが人生を変えて実現してく

この3つを美智子は口癖のように息子たちに言い聞かせた。

父親が違うからか、二人の息子の性格は二極化していた。長男はどちらかというと内向的な性格で、人に話しかけられず、自分の殻に閉じこもりがちだった。アニメのフィギュアが好きで、自室で趣味を楽しむことが多かった。一方で次男は厳しい勉強にも耐え、難関試験を突破して名門大学を卒業し、一流企業に就職することが出来た。

美智子は、二人の子供を育てると決意したあの日、自分と子供たちの人生を変えるために役所に改名届を出していた。旧姓の『山田』から『柊(ひいらぎ)』に変えた。理由は、『あなたを守る』という花言葉を持つ『柊』が、今の自分にとって一番合っていると思ったからだ。

『信心深い』という花言葉も持つ柊を自身の姓として新たな人生を歩んできた美智子。信じることが出来なかった過去の自分を捨て、信じることで人生を変えようとした。大きく歪曲してしまった美智子の考え方は別として、きっと二人の息子たちと共に歩んだ数年間は無駄ではなかったと思える日が来るだろうと美智子は思っていた。

息子の名前は、長男が『隆文』、次男が『浩一郎』と言う。

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