【第7話】悲劇の連鎖 -前編-

オリジナル小説作品
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親の喋り方や癖などが子供に遺伝することはよくあることで、今日はついてないなと思う日があったとしても、次の日になったら忘れられるはず。しかし、それが人生を狂わすほどの影響があるとしたら。親の影響や日々の出来事が自分の人生を狂わすことになるとしたら。

この話は、そんな救いようのない悲劇の連鎖の話だ。

あなたは、『ある繋がり』にどの段階で気づくことが出来るだろうか?

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心のよりどころ

福岡の中心地に近いところにある大きな家が、山田家の家だった。山田家は山田伝三(でんぞう)が一代で築き上げた事業が成功し、自宅には家政婦を3人も雇っていた。家族は伝三と妻の幸代、3姉妹の娘が居た。長女は美智子、次女は小百合、一番下の香苗、いづれの娘も何不自由なく育ち、教育熱心な母によって進学校へ入って将来安泰と思われた。それに対して近所の人たちは羨む一方で、何か悪いことをして金を作っているのではないかと陰口を叩く者もあった。そのくらい山田家は所謂金持ちだった。

好きなものを食べ、好きなところへ行き、好きな服が着られる生活の中で、3姉妹はこの家に生まれたことを誇っていたが、長女の美智子だけは少し苦々しい思いを抱いて過ごしていた。

それは、母の存在だった。教育熱心と言えば聞こえはいいが、母はスパルタ教育であり、特に長女の美智子に対しては躾の面でも非常に厳しかった。食事の礼儀作法や外出先での言葉遣い、学校以外の門限など非常に厳しく設定されており、正直、生き辛ささえ感じていた。

特に美智子が嫌だったのは、長女であるが故、妹たちが許されることも自分は我慢を強いられたり、何か母に叱られる際にはいつも自分が矢面に立たされることだった。母は外面こそ良かったものの、非常に感情的になるタイプの性格だったので、頭に血が上った時には口汚く罵ったりもした。

多感な年齢の美智子にとっては、母が発するその罵倒とも取れる言葉が毎回心に突き刺さった。中学の授業で母の日を前にした作文では、母との思い出が叱られた思い出しか無いため、作文に苦慮したほどである。それほどまでに追い詰められた子供時代を過ごしていた。

唯一、幼いころから美智子の心を支えていたのは、昔母から買ってもらったママゴト人形だった。優しかった母の数少ない面影を感じられるという事と、人形は喋らないため、自分の好きなように想像して話をすることが出来た。

『ねぇ、お母さんは私のことが嫌いなの?』

『そんなことないよ。美智子の事を大切に思うからこその厳しさだよ。』

それぞれに割り当てられた大きな自室の中で、美智子は一人寂しく人形と話をすることで、その傷ついた心を癒していた。

二十歳になるまで門限の厳しかった美智子は友達も少なく、男性にもあまり縁がなかった。大学を卒業して、銀行に就職した後に職場で知り合った男性に交際を申し込まれ、4年の交際期間を経て結婚した。男性の名は、輪島和樹(わじま かずき)という名前だった。

交際中に美智子は結婚を迷った時期があった。そもそも男性とのやり取りに慣れていなかったせいか、輪島からのアプローチをどのように受け止めていいのか分からないことが多かったからだ。それでも、輪島は『飾らない君の性格が好きだ』と美智子に伝え、とにかく自分に自信を持つように促した。

また、自分の母との関係についても美智子の悩みの種だった。輪島との交際は順調に進み、いざ結婚という段になって将来を考えると、いづれ子供が生まれた時に自分が母親として正しい教育ができるのかという点が不安だった。叱られた経験しか持たない美智子は、自分の子供に対して愛情を注ぐことが出来るのかという点をずっと悩んでいた。

輪島は、両親を失い祖父母に育てられたため、経済的に余裕のある山田家に養子に入る形で入籍をした。娘の結婚を美智子の両親も表面的には喜んでいた。美智子は自宅近所の人たちの影口が嫌だったので、両親に相談して浅草に引っ越しをして新居を購入した。山田家の自宅同様大きな家で、広い庭には日本庭園にありがちな鯉が泳ぐ小さな池があった。

輪島は、美智子の両親に対して深い感謝と礼を伝え、美智子を幸せにすると口にした。美智子もその言葉を信じて疑わなかった。不遇な少女時代を過ごした美智子にとって、輪島はようやく手に入れた安らぎであり、唯一自分の心を許せる相手だったため、子供が生まれたあとの結婚生活は何の問題もないものと思われた。

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分岐点

しかし、幸せな結婚生活は長くは続かなかった。というよりも、美智子はそれが幸せだと思い込もうと努力をしたが、友達の少なかった美智子は引っ越してきた浅草の土地で、自宅にいても何もやることがなかった。夫の帰りが遅いことは仕事を頑張っているのだと自分に思い込ませるために、どれだけ夫の帰りが遅かったとしても夕飯を作って待っていた。

広い部屋の中で美智子は時計を見上げた。まだ18時だ。普段なら夫が帰ってくる時間ではないし、今日に限って早く帰ってくる可能性は低かったため、子供はベビーシッターに任せて、美智子はスーパーへ買い物に行くことにした。普段ならタクシーを使って向かうのだが、最近運動不足だと感じていた美智子は、少し時間はかかるが歩いてスーパーへ向かうことにした。

大きな自宅にはもちろん警備システムを入れていたので、美智子は外出の際には必ず警備のスイッチを入れて外出していた。無論、ほとんど自宅にいることが多かった美智子にとっては買い出しの時くらいしか操作することはなかったが、律儀に育った美智子は、出かける際に広い自宅の全ての窓とドアの戸締りを確認し、警備スイッチを入れてから靴を履くというのがルーティンになっていた。

スーパーまでの大通りは、仕事終わりのサラリーマンや中高生の足音で溢れていた。人付き合いが苦手な美智子は少し伏し目がちに歩いていた。想像以上に大通りには人手が多く、美智子は今からでもタクシーを止めるか迷ったほどだった。

交差点で信号待ちをしていると、美智子の目には夫の姿が目に入った。

スーパーは交差点を超えて2つ目の信号を左に曲がったところにあるが、夫の姿は美智子が立つ道路側と同じ通りで、少し裏路地に入ったところの道路を歩いていた。この時間に夫が仕事以外で外に出ていることの理由は分からなかったが、美智子にはそれが仕事ではないと瞬時に悟ることが出来た。

それは、夫の傍らに自分よりも若い女がいたからだ。

美智子の足は自然と夫とその女を追いかけていた。悲しいという感情はなく、真実を突き止めたいと思ったからだ。もしかしたら、何でもない関係性なのかもしれない。そう思うほど、美智子は夫の事を信じていた。しかし、夫と女が角を曲がったところで立ち話をしている様子を陰から見ていた美智子は、自分の中で何かが崩れていく音を聞いた。

『こんな早い時間から遊び歩くなんて奥さんが可愛そうですよ~』女は猫なで声で言った。それに対して夫は『いいんだ。あれは金が目当てで結婚した女だ。俺には一切愛情はない。実家が太いから何とか口説いただけの女なんだ。だから婿養子にも入ってやったんだから。遊び位好きにさせてもらうさ!』

それでも美智子は、それが浮気だとは思わなかった。男性と付き合いがなかった美智子は、それが男としての見栄で言っているのか、本心で言っているのか分からなかったからだ。

ただ、結婚の理由を自分ではなく金だという夫の言葉に美智子は膝から崩れ落ちた。

『どうしました?』という通行人の声にも反応せず、美智子の頬に一筋の涙が静かに落ちていった。裏通りのネオン街が煌めく中で、美智子の目には涙で滲んだネオンの光がキラキラと輝いていた。

どのくらい時間が経ったか分からないが、美智子はふと我に返った。気づくと夫と女の姿は見えなかった。美智子には買い物に行く予定だった事や、夫の行方なんてどうでもよかった。今はただ、何か信じられるものが欲しかった。

その時美智子の視界に、道路の向こう側のコンクリートの壁に貼られたポスターが目に入った。

『寂しさを見ないようにしていませんか?信じることで道が開けるということを、体験しませんか?』という文言が、黒地に黄色い文字で書いてあった。新興宗教の看板だった。クリーム色のような黄色いような街灯が、そのポスターを照らしており、美智子には何か特別な感じがして、車通りを気にも止めずに、美智子はそのポスターに吸い込まれるように近づいて行った。

よく見ると、連絡先の電話番号と『無料体験』という文字が小さく書いてあった。美智子はとっさに鞄から手帳を取り出すと、その連絡先を控えた。スーパーには行かずにそのまま自宅へ引き返した美智子はいつも通り夕飯を作り、夫の帰りを待った。夫が帰ってきたのは午前1時を回ったころで、夕飯はいらないと言い残し、一人寝室に消えていった。

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願えば叶う

次の日の朝、夫はいつも通り笑顔で美智子が作った弁当を受け取ると、『いつもありがとう』と声をかけた。昨晩の事があるため、美智子はその言葉が無かった事のように聞き流していたが、条件反射で『いってらっしゃい』と夫を見送った。

昨日見たポスターの電話番号を書いた手帳を取り出して、美智子は少し考えていた。子供のころから何不自由なく暮らしてきた自分が、夫に裏切られ一人寂しく家にいるこの状況が受け入れられなかった事と、新興宗教という団体がどのようなものなのか正直分からなかった。

ただ、ポスターに書いてあった文言が自分の心の琴線に振れたことは事実で、今このどうしようもない自分の状況から、何か信じるモノが欲しいという気持ちを抑えきれないというのも事実だった。気づいたころには美智子は受話器を手に取っていた。

『もしもし・・・こちらの電話番号をポスターで見かけたんですが・・・』美智子は何を喋っていいか分からなかったが、とりあえず電話した経緯を手短に説明した。すると、受話器の向こうの女性は予想外の一言を美智子に伝えた。

『お電話ありがとうございます。我々は積極的な勧誘はしていないので、お時間がある時に気が向いたらお越しいただけますか?お名前だけ頂戴できれば無料体験の手配はしておきます。』素っ気無く言い放ったその女性は、無料体験をやっているという団体の住所だけを告げると電話を切った。

美智子は、新興宗教というとガツガツ勧誘してくるものだと思っていた。それが、一切勧誘してこないどころか『気が向いたら』というある意味適当な言いぶりに逆に美智子は気になって仕方がなくなった。ベビーシッターと家政婦に出かけてくる旨を伝え、すぐに伝えられた住所へのタクシーを手配した。住所は車で1時間ほどのところにあったが、美智子は迷うことなく向かった。

昼過ぎには団体の施設に到着した。茶色いレンガ造りの建物で、宗教団体というよりは市役所のような作りに美智子は少し意外に感じたが、自動ドアを通り抜け、1階の壁に掛けられたフロア案内を確認した。例の宗教団体は『願叶道(がんかどう)』という名前で、建物の5階ワンフロアになっていた。

5階に到着したエレベーターが開くと、目の前にはすぐに受付があり二人の女性が座っていた。『お名前を頂戴できますか?』と左側の女性が美智子に声をかけた。『山田です。山田美智子です。』と名乗ると、『あ、午前中にお電話をいただいた無料体験の方ですね?お待ちしておりました。どうぞ。』と丁寧に案内された。受付を抜けた先には6畳ほどの待合室があり、壁には恐らくこの団体の教祖と思われる写真が笑顔でこちらを見ていた。

不気味な雰囲気の写真だと感じたが、応接室自体は非常に小綺麗にされており、ソファーは本革のソファーで非常に座り心地が良かった。部屋の角に飾られた花瓶は有田焼のもので品があった。もともと裕福な家系で育った美智子には、それらが宗教団体というイメージを覆すような好印象を与えた。

応接室のドアがノックされて、先ほどの受付の女性が入ってきた。手にはいくつかの書類と1本のビデオを持って美智子の対面のソファーに腰を掛けた。

『お忙しいところわざわざお越しいただきましてありがとうございます。願叶道の入会担当の小松玲奈と申します。』小柄な小松という女性は、美智子に対して自己紹介した。受付にありがちな線の細い美人といった感じだった。

『本日は、お時間はございますか?』と小松は話しかけると、願叶道の紹介ビデオを見てほしいということと、補足説明の時間が欲しいということだった。全部で1時間ほどということだったので、美智子は問題ない旨小松に伝え了承した。少し緊張気味に答えた美智子に対して『あ、今日何かお金がかかるとかそういうことは一切ありませんので、安心してくださいね。』と小松は微笑んだ。

ビデオと小松の説明で美智子に伝えられたのは下記のような願叶道の考え方だった。

  • 最近何かを失ったという経験はないか。
  • それは信じていたことが信じられなくなったからではないか。
  • 人は信じることで人生を変えることが出来る。
  • 願叶道では、その信じる強さを強化する訓練や考え方を広めることを教義としている。
  • だからこそ、信じる強さがある人は強制的に勧誘することはない。
  • 自分自身で、信じる力を付けたいと思うのであれば手助けになりたい。

このような話が願叶道の教えの素晴らしさや、合理性を裏付ける体験談などと共に美智子に説明された。滾々と説明されている中で、美智子は自分の人生を振り返っていた。確かに自分は母に対してコンプレックスを感じていたが、それは母を信じる自分の力が足りなかったのではないか。昨日の夫の言葉も直接聞いた訳ではなかった。それも信じることが出来れば、この先の人生は変えることが出来るのではないだろうか。美智子は心が弱った人にありがちな、都合の良い解釈と共に願叶道への入信をその場で決めた。

経済的に困っているわけではなかった美智子は、その場で教本と教則ビデオを申込み、小松からそれを受け取って帰った。それ以降は、週2回の『勉強回コース』に申し込んだ。月々10万円というコース料金ではあったが、美智子はそれで自分の人生を変えることが出来るのであればと、藁にも縋る思いで入信の契約書にサインをしたのだった。

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特別な存在

願叶道の勉強会に通い始めた美智子は週2回、願叶道本部の研修室で様々な成功体験を教えられた。『信じることで人付き合いが辛くなくなった』『信じることが出来たので事業がうまくいった』『信じることで反抗期の息子との関係性が改善した』など、どれもありふれたような話だったが、すでに信じるべきものさえ分からなくなっていた美智子にとっては、そのどれもが輝いて見えた。

幼少期から母の厳しいしつけと共に、自分に対する接し方に寂しさを抱えて生きてきた美智子は、やっとの思いで結婚というある一定の幸せと思われる形を手に入れたと思っていた。街の雑踏の中で、ある夜に見かけてしまった夫の心無い一言で、美智子の心はひび割れたガラスのように、今にも崩れ去る寸前だった。

願叶道に通い始めて2週間が経った頃、美智子は願叶道の教祖と呼ばれる男と初めて会った。教祖の男は大柄で背中まで伸びた髪を後ろで一本縛りにしており、髭は子供のころ見たサンタクロースのような格好で、白髪交じりの灰色であること以外はそっくりだった。紫色のロングコートに黒いスラックスを履いた、『いかにも』な風貌だったが、美智子にはそれが神々しく映った。

『あなたは初めてお会いしますね?願叶道へようこそ。』そう挨拶した教祖の男は、美智子の隣に腰掛けた。『あなたには、強い悲しみが見えます。どうですか?心当たりはありませんか?悲しみが強いほど、今は辛いかも知れませんが、信じる力も反作用的に大きな影響を及ぼすものです。』と教祖の男は白々しく美智子に語り掛けた。

美智子は自分の心を見透かされているような不思議な感覚に陥ったが、そもそも入会の段階で自分の身の上話をヒアリングされているので、それを教祖の男が知っているのは不思議ではないはずだが、今の美智子にはすでに願叶道を『信じている』ため、全てがありがたい話に聞こえてしまっていた。

『ところで・・・あなたは特別な存在かも知れません』

唐突に発せられた教祖の男の言葉に、美智子は目を丸くして『どういうことでしょうか?』と尋ねた。

『あなたには、他の人にはない輝きが見えます。ただ、今は信じることを忘れてしまったことで、その輝きが失われつつあります。信じる力が戻ってくればあなたの人生は本当に大きく変化することができると思います。』そんなことを身振り手振りを含めながら教祖の男は太く大きく、そしてゆっくりとした声で美智子に話した。

『そんな・・・私なんて・・・』美智子は戸惑いを見せたが、『ほら、すでに信じることが出来ていないでしょう?その信じられない心があなたを不幸にしてしまっています』と教祖の男は続けた。

『どうでしょう?あなたが本当に変わりたいなら、私と個別の”特別講義”を受けてみませんか。まぁ、もしあなたが、私の言葉を信じる事がが出来るならという話ですが』教祖の男は美智子を試すような言い方をした。

美智子はしばらくの間沈黙していたが、『・・・是非、よろしくお願いします。』と教祖の男に伝え、すると教祖の男は例の受付の小松を呼びつけて事の次第を耳打ちした。しばらくすると教祖の男は『じゃあ、またあとで』と言い残してサンタクロースのような髭をゆらゆらと揺らしながらその場を去っていった。

残された美智子に対して、受付の小松は二人きりになった部屋の中で『山田さん、これは大変なことです。教祖から特別講義を受けられる人は、本当に少ないんです。以前、私が知っている方は2年前くらいの話で、それ以来特別講義を打診されたのは山田さんが初めてです。』小松は短いスカートから剝き出しになった足の上に小さな手を置いて、美智子に対して力説した。

完全に心酔してしまっている美智子にとって、それは天にも昇る思いだった。変わってしまった夫を信じる力が欲しい、その信じる力を強くするために願叶道に入った。勉強会を頑張っていたら教祖から特別な存在だと声を掛けられた。小松の話では2年ぶりの特別講義だ。

美智子は小松から差し出された『念書』にサインをした。特別講義は一般に公開できない内容を含む特別な勉強会であるため、その一切を口外しない事、特別講義は教祖と二人で行うことになるので、実施場所を口外しない事、特別講義の受講料は教祖に手渡しが必要となるため、現金を準備することなどが14項目ほど書かれていた。

『これで自分は変わることが出来る。しかも、特別な存在として』美智子の心は高鳴った。夫の姿を見かけたあの日、コンクリートの壁にあったあのポスターを『信じた』ことで、自分を変えるチャンスを手に入れることが出来た。きっとこれで自分の人生も大きく変わっていくと確信していた。

美智子は間違ってはいなかった。確かに大きく変わっていった。ただし、美智子の予想しない展開で。

後編に続く

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