【第2話】上野駅の掲示板の話 -後日談-

オリジナル小説作品
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入社当時の恐怖のストーカー被害を駅前の掲示板から思い出した茜。今では笑い話かの様に浩一郎に話して聞かせたランチタイムの中華料理店での話だった。これから午後の営業を始めようという時に、突然浩一郎から告白を受けた茜は浩一郎のまっすぐな姿勢に承諾。週末には浩一郎の家に遊びに行く約束をして営業先へと急いだ。

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いたずらな小早川部長

午後の営業から帰社した茜と浩一郎は、いつも通りデスクについた。浩一郎は当日の営業結果を日報にまとめ、茜は小早川部長に商談の状況を報告していた。

『・・・ということで、来週にはご契約いただける流れになっておりますので、水曜日に先方へ確認の電話をして、契約となれば木曜の14時でご同行をお願いします』テキパキと段取りを説明する茜だが、人取り報告が終わると小早川へ耳打ちした。

『それと、私、柊君とお付き合いする事になりました。部内ではご内密にお願いします・・・』

さすがの小早川も驚いた表情を見せたが、察しの良い小早川は、変に部内で浩一郎がヤジの的になることを恐れ、それでいて上司である自分への筋を通す茜らしい報告だと感心していた。

『では、報告は以上です。失礼いたします。』

茜はいつものようにハキハキとした口調で報告を終えると、浩一郎の反対側の一番端のデスクに腰を下ろした。浩一郎と同様、日報を作成するためにワープロを開いてカタカタとやりだした。西日も沈み始めた午後17時前の出来事だった。

手早く残務処理を終え茜は先に退社したころ、小早川は浩一郎を呼んで会社の1階にある古びた自販機でコーヒーを買い浩一郎に渡した。

『今日の商談お疲れさん。新しい契約も取れそうだし、いい女をゲットしたな。アッハハハハハッハ!!』と高笑いをした。『何、立花からも言われてるから、このことはワシしか知らんよ。安心せい。』小早川はコーヒーの缶をプシュッと開けると、乾杯のポーズを取ってにっこり笑いながら一気に飲み干した。

『部長、本当に内密にお願いします!さすがに社内で知られたら僕居場所ないですよ!!』

浩一郎は小さな声ではあるが真剣な目で小早川を見つめながらそう言った。あたりはすっかり陽が落ちて、自動販売機の明かりが二人を照らしていた。小早川は胸ポケットから取り出したタバコを、自慢のジッポライターで火をつけて、大きく吸い込んで吐き出しながら続けた。

『それにしてもお前も肝が据わってるんだなぁ。あんなに勝気な立花に愛の告白はなかなか勇気が要ったんじゃないか?』小早川は少し茶化すような顔でそう問いかけた。

『まぁ、そうですね・・・。でも結構前から考えていたので。』

浩一郎は周りに人がいないことを確認するようにキョロキョロしながら、小早川の質問にまた小さな声で答えた。『そうか、じゃあ仕事にも精が出るな!期待しているぞ!』小早川は浩一郎の背中をウチワくらいはありそうな大きな手でバシッと叩くと、帰り支度をするために浩一郎と共に執務室に戻っていった。浩一郎は早く家に帰りたい一心で、手早く荷物をまとめると、『それでは、お先に失礼します!』と小早川に告げ会社を後にした。

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上品な母親

浩一郎と約束した土曜日の朝、何となく茜は寝起きが良くなかった。予定していた時刻よりも30分ほど遅れて布団を出た。外は生憎の雨が降っており、傘をさす必要があると思うとげんなりした。台所の食パンをトースターに入れて3分のところまでタイマーを回して、冷蔵庫からマーマレードジャムを取り出した。

前日の仕事の帰り際に待ち合わせ場所と時間を浩一郎と話したときに、茜を家族にも紹介したいと言われていた。だから、今日は勝気な茜は少しの時間封印しなければいけないと思っていた。なるべくおしとやかに、なるべく浩一郎を立てて、そんなことを思うと少し窮屈に茜は感じていた。

浩一郎の実家は、浅草駅から歩いて10分ほどのところにあった。会社と家の往復くらいしかしたことがない茜にとっては、浅草の町並みは新鮮なものに映った。人の多さは仕事で慣れているが、古い文化と新しい文化が混ざり合うような独特の雰囲気に、雨降りの道でも少し頼もしく感じた。

大通りから少し外れた住宅街に、茜の家の近くのスーパーの系列店があった。待ち合わせはそこですることになっていた。一応手土産くらいは買ったほうがいいと思った茜は、贈答品のコーナーでカステラを1本購入して、紙袋をもらってそれに入れた。ツルツルした開けにくい袋は雨避けには最適だった。スーパーの建物の角にある公衆電話のところで雨宿りをしながら浩一郎を待っていると、後ろから『茜さん!』という聞きなれた声が聞こえた。

どうやら浩一郎の実家はスーパーの裏にあるらしく、買い出しが楽だとか、昔母親がパートで働いていたとかたわいもない話を浩一郎がしていた。しかしながら、浩一郎が差してくれた傘に二人で収まってはみたものの、微妙な距離感から右ひじが雨に濡れることのほうが茜は気になっていた。スーパーの駐車場を出て左に曲がるとすぐに浩一郎の実家が見えた。なんてことない普通の建売住宅だ。亡くなったお父さんが地主だったこともあり、近くにあるアパートはお母さんが大家をしているとのことだった。

『どうぞ』

全体的には黒いペンキが塗られているが、所々茶色く錆が目立つ門を開けて浩一郎と茜は庭に入った。近くで見ると、よく手入れがされており、ガーデニングは母親の趣味だろうと思われる可愛らしい植木鉢が並んでいた。

玄関のドアを開けると、上品なカーペットが目についた。家自体はどこにでもあるような日本の住宅に見えたが、内装は洋風の装飾や置物が目立っていた。おそらく母親の趣味なんだろうと茜は思った。

『あら、いらっしゃい。立花さんね。浩ちゃんがいつもお世話になってます。』

奥の台所らしきところから顔を覗かせたのは浩一郎の母親だった。自分の息子に『ちゃん付け』で呼ぶのはどうかと思ったが、チェーン付きの眼鏡をかけて、上品な茶色に染められた巻髪が胸のあたりまで伸びて、花柄のエプロンをつけた50代くらいの女だった。パタパタとスリッパの音をさせながら、浩一郎の母親は玄関まで迎えてくれた。

『つまらないものですが』

茜はできる限り上品な口調を心掛けながら、さっき買ったばかりのカステラを母親に差し出した。『あら、お気遣いのできる素敵なお嬢さんね』母親はまんざらでもない様子で、『あそこのスーパーのカステラ美味しいのよねぇ』と皮肉を言ってきた。茜は少しイラっとしたが、初対面なので顔に出ないように必死で奥歯をかみしめた。

『母さん、お茶と一緒にカステラ出してよ。』浩一郎は台所へ母親を退散させるためにうまく立ち回った。『ごめんなさい。うちの母さんちょっと嫌味なところがあるから。気を悪くしないでください。』浩一郎は小さな声で茜にそう囁いた。

『大丈夫よ。私も営業だからさ。』茜も小さな声で浩一郎に答えた。

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ピーチティー

居間へ通されると、やはり茜の思った通りだった。洋風の色調にまとめられた家具は、まるでモデルルームのようにキラキラしていた。テーブルは黒い大理石のような作りになっていて、煌びやかな内装にアクセントになっていた。気になったのは、カーペットと同じくらい重そうなカーテンが全て締め切られていたことだ。今日は雨だから閉めているのかなと思い、それほど気にはならなかった。

『さ、少しお話ししましょ』

その声が聞こえたと同時に、プーンと甘い桃の香りと共に、母親がティーカップとポットを持ってソファーに腰を掛けた。エプロンと眼鏡を外していた母親は意外にも美人に見えた。どこかで見たことがあるような、テレビタレントにいるようなそんな気がする。

『立花さんはお紅茶はお好きかしら?』上品な口調で母親は茜に尋ねた。『ハイ、頂戴します。』と茜は答えながら、ニッコリと微笑んで見せた。先ほど買ってきたカステラも一緒にテーブルに並べられたが、普通のカステラだと思っていたら、クルミが入っているタイプのカステラだった。茜はあまり豆類が好きではないので、ちょっと損した気分になったが、上機嫌でナイフを入れる母親に愛想笑いをするしかなかった。

『広いおうちですね』

牛乳とシュークリームで満足できる茜にとっては、ピーチティーが出てくる雰囲気に、そんな当たり障りのない話しか切り出せなかった。なんでもこのピーチティーはリラックス作用があるらしく、人によっては眠くなってしまうことがあるほど効果があるというのだ。たかが紅茶でそんなはずはないと茜は信じていなかった。

『それで、今日はお夕食も一緒にいかがかしら?』

巻紙をゆらゆらさせながら、母親が茜をまじまじと見つめながら問いかけた。

『いや、さすがに憚られます。お気持ちだけいただいて夕方にはお暇させていただきます。明日、母が自宅に来る予定にもなっていますので。』茜は自分にできる最上級の上品な言葉づかいで答えたつもりだったが、浩一郎も母親も残念そうに顔を見合わせた。

『そうなの?じゃあ、それまでゆっくりしていってね!このお紅茶美味しいでしょ?お代わりどうぞ。』

確かにおいしかったが、紅茶をそんなにガブガブ飲むものではないし、トイレが近くなるのも茜は嫌だと感じていたが、まだ2杯目だったので少し口をつけてカップをテーブルに置いた。

浩一郎の母親が言った通り、少しフワッとした気分になり、体が暖かくなっているような気がした。紅茶にこんな作用があるなんてすごいなと思っていると、浩一郎と母親の声がだんだんと遠くなっていくような気がした。まるで暖かい昼下がりに公園でランチを食べた後のような気持のいい感覚に襲われて、茜はフッと意識が遠のいて眠ってしまった。

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事の顛末

『茜さん、茜さん』

肩を揺り動かされながら呼びかけられたことで茜は目を覚ました。

『あちゃー、これはさすがにやらかしちゃったなぁ。』そう思いながら目をこすろうとするが、右腕はなぜか動かなかった。まだ寝ぼけた状態でわかるのは、どこかにあおむけで寝ているということだけだった。しばらくすると意識もハッキリとしてきたので、茜は周りを見渡してみると自分は大きなキングサイズのベッドに寝ていた。

『茜さん』

声のする方を見た茜はあまりの驚きと恐怖に心臓が止まりそうになった。

声の主は、林巡査だった。

『やっと目を覚ましましたか。』林巡査はニコニコしながら茜に歩み寄った。『なんでアンタが!どういう事よこれ!』茜は林巡査を威嚇しようと精一杯の声でそう言ったが、なんと茜の手足はロープで繋がれて動けない状態だった。

さらに茜の恐怖を増長させたのは、林巡査の隣で、意識が遠のく前と同じように、紅茶とカステラを楽しむ浩一郎と母親の姿だった。『どういうことよ!』浩一郎に問いただすと、『教えてあげましょうか?』と母親のほうが口火を切った。

『あのね、立花さん。いや、茜さん。隆ちゃんはね、あなたのことが本当に好きだっただけなのよ。その思いを伝えたくて何度もあなたにアプローチして』上品な口調ではあるが、その表情は狂気そのものだった。紅茶を出された時に母親を見たことがある気がした理由がよくわかった。

あの時の林巡査の顔とそっくりだった。

『立派に警察官になって市民の平和を守っている隆ちゃんのほうが、タダの体目当てで近寄ってきた男よりもずーっと安心できるでしょ。ね?そう思わない?フフフフッ』

『でもね・・・あなたが隆ちゃんの愛を受け止めなかったせいで、隆ちゃんはあれからおかしくなっちゃったのよ!子供も作れない体になって!フィギュアだかなんだか分からないけど、一晩中人形と話をしてさ!あんたに何が分かるっていうのさ!え!?大事な隆ちゃんをこんなクズみたいな人間にしやがって!』

今までの母親と同一人物とは思えないその発狂ぶりに、茜は怖気づいていた。

浩一郎が続けた。

『茜さん、ビックリしたでしょう。一応意識があるうちにお伝えしておきます。この前、中華屋で話してくれた昔のストーカー事件。僕はね、ずっと前から知っていましたよ。知っているも何も、兄さんがこんなになってしまったので、母からの言いつけで僕はあなたをここに呼ぶためにあの会社に入ったんです。』浩一郎は顔色一つ変えずに淡々としゃべり続けた。

『要は、兄さんの復讐のために、あなたに近づくために僕はあの会社に入社したんです。あ、そうそう。兄さんは交番勤務の時は結婚してたので苗字は”林”でしたけど、今は旧姓に戻ったので”柊 隆文”っていうんですよ。』

『あなたが昔話をしてくれた時、全部知っているのに知らない振りをするのは大変でしたよ。おかげで麻婆炒飯の味は、ほとんど覚えていないくらいですよ』浩一郎は少しだけフフッと不気味に笑った。

『浩ちゃんは本当に家族思いよね。パパが亡くなってからも、ママの言いつけはちゃんと守ってくれたもんね。今回も隆ちゃんのためだからってママがお願いしたら見事に茜さんを連れてきてくれて』母親は浩一郎の口元についたカステラを指でつまんで自分の口へ運んだ。

『さ、昔話はこの辺にして、僕のフィギュアになってもらいますよ』

林巡査・・・隆文がニタニタしながら茜に近寄ってくる。手に持っていたガムテープで茜の口をふさいだ。茜は必死に抵抗するが、さすがに両手両足が縛られた状態では何もなす術はなかった。

隆文はどこからともなくセーラー服を手に持って、よだれを垂らしながら茜に近づき、茜の体にセーラー服をあてがった。『いやー、似合うと思ったんですよ。茜さんはスタイルがいいですからね。さ、僕が着替えさせてあげますね。アハハハッ!アハハ、アーハハハハハッハッ!!!!!!』血走った目で茜を見つめながら隆文は奇声を上げた。その横で浩一郎と母親は相変わらずカステラをお茶うけに紅茶を啜っていた。

『ギャアアアアアァァァッッ!!!!!やめてぇぇぇぇーーーー!!!!!!!!!・・・・・』

耳をつんざくような茜の叫び声は浩一郎の実家の外まで響いていたが、その後、茜の行方を知っているものは居ない。

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