【第9話】冷たい操り人形 -後編-

オリジナル小説作品
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いかにも怪しい賃貸物件のチラシに友達からは止められたが、武は背に腹は代えられないとそこに住むことに決めた。見た目の怖い不動産屋に案内されたその物件は、墓場に隣接していること以外は特に瑕疵は無いと説明を受ける。

特に問題ない日々を過ごしていた武だったが、ある日バイトから帰ってふと開いた押し入れからとんでもないものが落ちてきた事から、武は驚愕の真実を目の当たりにする事となる。

近所の噂

武は思わず声を上げそうになったが何とか堪えてもう一度その画用紙を手に取った。あまりに不気味で異様なその絵は、見ていると吐き気すら催すほどだった。不審に思った武は、押し入れの中に体を捻じ込んで、入居以来確認したことの無かった押し入れの中をよく見てみることにした。

古い物件にありがちなカビ臭い匂いは以前から分かってはいたものの、安い家賃の代償だと思って全く気にしていなかった。しかし、あんな奇妙な絵が自分の部屋の押し入れから出てきたとなれば話は別だ。いっその事、それほど大きな押し入れでもないし、隅々まで見てみることにしたのだ。

すると、武は更にとんでもないものを見つけてしまった。

なんと、押し入れの引き戸の片方が古くて動きが悪いと思っていたが、その引き戸の裏には大量のお札が貼られており、引き戸の溝にも挟まっていた。建付けが悪いわけではなく、このお札が挟まって物理的に動かなかったのだ。そして、押し入れの奥には大量のバルサンが山積みにされていた。引っ越しの際に押し入れには大家の持ち物である座布団が入っているから好きに使っていいと言われたため、手前の方しか確認しなかった物ぐさな自分を武は責めた。

さすがに居ても立っても居られない武は、すぐさまアパートの階段を下りて大家のところへ相談に行った。大家はいつもの通りにこやかに迎えてくれたが、武の慌てた様子とは裏腹に落ち着いた様子で武の話を聞いていた。どうやら、部屋の管理は自分一人でやっているため、前の入居者の忘れ物が残っていることは多く、家賃が安い事から正直あまりマトモではない人も居たという。そのため、少し変わった人が残していったものを、たまたま今回見つけてしまったのではないかと武を宥めた。

落ち着きを取り戻した武は大家の妙に納得感のある話に、例の画用紙とお札、そして大量のバルサンの空を大家に処分してもらえるように依頼して自分の部屋へと戻っていった。

次の日の朝、武は週1回の資源ゴミを捨てるためにゴミ収集所へと向かっていた。アパートは袋小路になっているところにあるため、通りに出た角の床屋の裏手がゴミ捨て場になっていた。武が収集所へ向かうと近所の主婦とみられる女性二人が買い物カゴ片手に世間話をしていた。二人に頭を下げて挨拶し立ち去ろうとした武は二人の主婦に呼び止められた。

『こんにちわ。あら、あまり見かけない顔ね。学生さん?』主婦の片方がそう質問した。『ええ、まぁ。あそこの墓地の隣のアパートに引っ越してきました。』武が手短に答えると、二人は口に手を当てて目を見合わせた。

『え、どうされました?』

武が気になって聞いてみるともう片方の主婦が次のように話し始めた。

『剣持さんの所よね?あそこのアパート・・・ねぇ?分かっていて引っ越してきたの?』墓地の隣だから人が入らずに家賃が安い事かと尋ねた武に、その主婦は気になることを言い出した。『それもそうなんだけど、あそこのアパート呪われてるって話よ。剣持さんの奥さんが亡くなったのは聞いてるわよね?一応表向きは自殺っていう事になっているけど、そうじゃないって噂もあるのよ。それに、あそこに入居してきた人たちは殆ど夜逃げして居なくなっちゃうって噂で、それはあそこで心霊現象が起きるから耐えられなくなるんだって聞いたことがあるわ。』

話半分で聞いていた武だったが、『夜逃げで居なくなる』という点が引っかかった。もしこの女性の言うように心霊現象が起きており、それが原因で入退去が頻繁だったとする。だとするならば、大家さんが言うようになかなか人が入らないから家賃を下げていることも納得できる。しかし、だとしても普通に出ていけばいいのではないか。なぜ夜逃げする必要があるのだろうか。

武が考えているうちに、主婦二人は喋りながらどこかへ行ってしまった。

武は心霊系統を信じる質ではなかったので正直先ほどの話は近所の噂レベルだろうと思った。しかしながら、先日目にした墓場の出来事と、押し入れの一件、そして何よりも先ほどの女性が口にした『夜逃げしてしまう』という事がどうしても気になった。

ゴミ出しを終えて自分の部屋に戻ろうとすると、今まで一度しかあったことが無かった4号室のお婆さんが仕事帰りなのか玄関の前に立っていた。先ほどの件が気になっていた武は、長く住んでいるというお婆さんに話を聞いてみようと声を掛けた。

『あのー、すみません。』

お婆さんはこちらに振り向くと、『あー、お隣の。どうされましたか?』と答えた。先ほど聞いた話を少し丸めてお婆さんに説明し、例のお札の事などを含めて気になっている旨をお婆さんに相談した。お婆さんは話を聞き終わると、玄関前の洗面台で手を洗いながらこんな事を話し出した。

『まぁ、若い人が気にするのも無理はないよねぇ。何せ、池袋で15,000円だからね。周りからしたら”何かあるに違いない”金額だよね。でも、私は今まで12年住んでいるけど、心霊現象なんて起きたことはないし、当然剣持さんが奥さんをどうしたとか、そんなことは聞いたことが無いね。』

おおよそ先ほどの主婦の話は否定すると、お婆さんは武の方に向き直りながらこう付け加えた。

『ただね、お金ってのは望んで手に入るものじゃないから、ここの家賃じゃないと生活できない人がいるってことだよ。あんたもそうだろ?でも、それは普通の暮らしが出来ている人間からすると、理解できないモノなのかも知れないよねぇ。だから、理解するために理由を付けたがるんだよねぇ。剣持さんは神様なんだから・・・』

最後の方は玄関のドアを開けながら独り言のように呟いて、足音もなく部屋に入ってしまったので聞き取れなかった。神様ってどういう事なんだろうと武は新たな疑問が浮かんだが、10年以上住んでいるお婆さんが心霊現象を否定するのであれば、そういう事にしようと思った。隣が墓場という立地から、何でもないことを気にしてしまうのは人の常だ。・・・そう思わないと住み続けるのは難しいかもな、と武は自分を納得させた。

抗えない出来事

それからというもの、夏休みという事もあり、武は殆ど家に居ることは少なくバイトに明け暮れていた。今が稼ぎ時だと思ったことと、もうすぐ母の誕生日が近かったからだ。本音を言えば、アパートに居るのが嫌だったのでバイトしている方が気が紛れた。

近所の女性から気になる話を聞いてから2週間ほど経ったある日、武は久々にコンビニもカラオケもバイトがない1日で自宅の6畳間で昼寝をしていた。ふと耳に入ってきた声に目が覚めると、2号室の方から赤ん坊の泣き声が聞こえてきていた。『夏だから赤ちゃんも暑いんだろうな』と思った武は、起きたついでに気分転換の為散歩に出た。

散歩から帰ると、2号室のシングルマザーが赤ん坊をおぶって袋小路の道をグルグルと歩いていた。『こんにちわ』と声をかけた武は『赤ちゃんもやっぱり暑いんですかね。子守大変ですね。』と続けた。立ち止まったシングルマザーの女性は武の目を見るなり『あー、あなたはまだなんですね。』と呟いた。

意味がわからなかった武だったが、どういう意味か尋ねる前に、女性に対する違和感の方が気になった。それは、4号室のお婆さんに対して感じた違和感と同じ違和感だった。その違和感の正体が何なのか解らなかったが、部屋へ戻っていく女性の後ろから自分もアパートの階段を登り始めた。次の瞬間、女性の背中におぶさった赤ん坊の顔を見た時悪寒が走った。

その顔は、焦点が定まっておらず、首をダラんとさせて涎を垂らしながら泣いていた。武はもちろん子供はいなかったが、親戚の子供を見たことがあるのであんなにもグッタリとしている赤ん坊を見たのは初めてで、それはまるで糸が切れた操り人形のように力なく抱っこ紐に収まっていた。赤ん坊の様子を気にも留めなかったシングルマザーの女性に対して不気味な感覚を覚えたのと、そそくさと女性は部屋に戻ってしまったので声を掛ける事が出来なかった。

午後になっても暫くの間隣の2号室からは赤ん坊の泣き声が聞こえていた。それと共に、母である女性のあやす声も微かではあるが聞こえたような気がしていた。武はその声が気になったというよりは、あの力なく垂れ下がっていた赤ん坊の顔を思い出し、泣き声があるという事はとりあえず無事であるという事だと思った。

夜になると、武の部屋の玄関をノックする音が聞こえた。『ドンドン、ドン』という特徴的なリズムはこれまでにも聞いたことがあった。武はきっと大家の剣持だと思ったが、やはり玄関を開けて立っていたのは想定通り剣持だった。剣持の手には食材を小分けにするためのパックが握られており、2つ持っていた。

『あー、橋本さん、今日は暑かったから、沢庵良かったらどうぞ。うちの糠床は10年以上使ってますから、しっかりと味が染みていると思いますよ。』

満足気な表情と明るい笑顔に、武は断ることは出来なかった。武は潔癖症気質があったため、家族以外の人が作った手料理を食べるのが苦手だった。そんな武が気がかりだったのはパックの中身だ。いつもはカレーや肉じゃが、この前は麻婆豆腐だった。いずれも殆ど液体に近い状態にできたので、悪いと思いながらもトイレに流すことが出来た。でも今日に限って沢庵ときた。しかもまぁまぁな量だ。2つあるうちの1つのパックはきっと4号室のお婆さんに持っていくんだろうと思っていた。

『いつもすみません。こちらが貸していただいている立場なのに。ありがとうございます。』武は“大人の対応”をすると、剣持は嬉しそうにパックを渡してきた。武の予想を外れたのは、2つともパックを渡されたことだった。

『え、2つもいただいていいんですか?4号室のお婆さんとか、お漬物お好きなんじゃないですかね?』

精いっぱいの会話で1つだけ受け取ろうとしたが、どうやら隣のお婆さんは入れ歯なので、沢庵のような堅いものが食べられないらしい。断る理由を失った武は、『では、遠慮なく』と言ってしぶしぶ2パックとも受け取って玄関のドアを閉めた。

『マジかよ。なかなかな量だぜ。これを細かく刻むわけにもいかないし、何かに包んで可燃ゴミで出すしかないか・・・』玄関の向こうに聞こえたらまずいと思った武は、心の中でそう呟いて、とりあえずもらったパックを冷蔵庫の奥の方にしまっておくことにした。

1週間後、例の沢庵を新聞紙で包んでスーパーの袋に入れた後、紙袋に入れて可能な限り小さく潰した。これだけ手の込んだ包装をしたのは、万が一の可能性で大家の目に留まり中身を見られたら気まずいと思ったからだ。通りに出たところの角にある床屋の脇のゴミ収集所へそっとゴミ袋を置くと、周りに誰も居ない事、自分の捨てたゴミ袋がほかのそれと比較しても何も変わったところが無いように見えることを確認して、武は足早に自分の部屋へと戻っていった。

アパートへ戻ると、1号室の玄関が何やら騒がしい様子だった。入居の時以来あっていなかった不動産屋の棚橋と大家の剣持が何やら話をしていた。剣持はポケットから合鍵を取り出すと1号室のドアをガチャンと開けて、先に棚橋を通した。丁度階段を上り終えた武は、棚橋の喋った言葉に耳を疑った。

『それじゃ、片付けるか』

1号室は例の先輩学生が住んでいたはずだが、片付けるとはどういう意味なのか気になった。まだ部屋に入らずにいた剣持に声を掛けた。

『おはようございます。何かあったんですか?』すると剣持は、『・・・ああ、いや、1号室の学生さん居なくなってしまって。・・・まぁ、夜逃げってことです。』

武は耳を疑うと同時に、剣持の言い方に違和感があった。何かを隠しているのではないか、そんな感じがしたのだ。武に気付いた棚橋が声を掛けてきた。

『あー、3号室の。ここの部屋の学生さんはもういないですから。友達が部屋を探してたら紹介してくださいな。あんた、元気そうですね。』

武は愛想笑いをしながら自分の部屋へと急いだ。

強烈な違和感を武が襲った。まずは、大家のあの口ぶりだ。絶対に何か隠している。夜逃げだとしたら、大家にとっては困り事なはずなのに、そんな素振りは無かった。まるで分かっていたことのように、もしくは居なくなったことを武に探られないように夜逃げだと断言したような気がした。棚橋の言った言葉もおかしかった。同じアパートに住んでいて同じ大学に行っているにも拘わらず、人が居なくなった事を住民に告げるだろうか。そして、『元気そうですね』という言葉も違和感があった。まるで自分は元気ではないはずなのにというような言い方に聞こえた。

先日のシングルマザーの『あなたは、まだなんですね』という言葉、4号室のお婆さんが言う『大家は神様』という言葉、さっきの1号室での会話、そして墓場で時折見かける人影や謎の声。やっぱりここは何かあるに違いない。もしかしたら、心霊現象の噂は本当で、みんなおかしくなってしまっているんじゃないか。自分はあまり気にしていないようにしているから気付かないだけなのだろうか。だとしたら、いつか自分も・・・。武は不安になった。

『そうだ、例の先輩学生は、大学はどうしたんだろう。』

届いた手紙

武はその足で大学へと向かい、夏休みの当直教諭へ話を聞いてみた。すると驚くべき事を聞かされたのだ。なんと、例の先輩学生は、体調不良を理由に2週間前に自主退学を申し出たというのだ。その1か月前くらいから大学には顔を見せず、電話で急に申し出があったらしい。

『あ、それから、橋本さんが自分のことで連絡してくることがあったら、手紙が届くからと伝えてほしいと伝言を預かってますね。』

武にとっては唐突であり意外な事だった。同じアパートには住んでいたが、朝晩の挨拶くらいしかしなかったし、お世辞にも仲が良いとは思わなかった。その彼がなぜ自分に手紙を出す必要があるんだろう。武の頭の中は、あのアパートに対する疑念と、新たな疑問符でいっぱいになった。

それからというもの、バイトは殆ど手に付かず休みがちになった。心配したバイトの店長がシフトの日数を1日減らして体調優先でいいからと言ってくれた。アパートに一人で居るのも怖いので、武はルームシェアしていた友達の家にいる事も多くなった。

ある日、バイト帰りに自室へ帰宅すると、郵便ポストに封筒が挟まっているのが見えた。『もしかしたら』と思った武は、急いで玄関を入ると、その封筒をよく調べてみた。宛名は自分になっており、差出人は例の先輩学生の名前が記載されている。住所はここのアパートではない東北の住所が記載されていたが、正直武にはどうでもよかった。封を切ると、中から1枚の便せんが出てきた。武は思わず声を上げて便せんを落とした。

その便せんは、ボールペンで黒く塗り潰されたなんだか分からないような、絵のような落書きのようなものが描かれていた。所々丸だったり線のようになっていたりしたが、到底それが何を意味しているのか分からないような不気味なものだった。武は、押し入れで見つけた例の画用紙を初めて見た時と同じような不気味さを覚えた。

丸めて捨ててしまおうと思った時、ふとあることに気付いた。便せんは一見すると落書きのように見えるが、よく見てみると何となく数字が書かれているような所があった。武は目を凝らして数字を辿り、自分の手帳にその数字を書き起こしてみた。数字の羅列は3つの塊になっており暗号のように見えた。

  • 127133230452240495
  • 151581250112
  • 3255222403

武には理解が出来なかった。わざわざ先輩学生が自分に寄こした手紙だとするならば、何か意味があるはずだ。とりあえず武に思いつくのは、友達に相談してみる事だった。友達に見せたものの、全く分からないとの事で、真相は解明できなかった。友達が言っていたのは、羅列の中に”6″だけが存在しないのが気になるという事だけだった。確かに言われてみると、これだけの数字の中で6が無いのは違和感を覚える。6は何か意味があるのか?まさか、悪魔の数字?そんな馬鹿げたように思えることも、今の武にはヒントになるような気がした。

夏休みも終わりに近づいたある日、実家から父が遊びに来た。久しぶりに会った父は相変わらず優しかった。父は池袋に来るのは初めてで、武は父と二人で駅前のラーメン屋へ行った。まだ暑い日々が続いていて、店内はクーラーがかかっているにも拘らず、じっとしていても汗が滲んでくるくらいだった。

『どうだ。都会の暮らしは慣れたか?そう言えば今住んでるアパートは随分と安いアパートらしいな。・・・大丈夫なのか?』

父のその問いに、最近身の回りで起こっていることを伝えられなかった武は、大家さんが食べ物をくれるけど断れなくて困っていると話した。新しい人間関係を構築するのは大変だろうけど頑張れという父の言葉に、武は小さく頷いた。

『そう言えば』と武は切りだし、例の数字の羅列の事を父に相談してみることにした。父はシャーロック・ホームズシリーズを好んで読んでおり、暗号や謎解きは好きだったはずだと思い出したからだ。しかし、父は即答で『分からない』と答えた。武はガッカリして、提供されたチャーシュー麵に胡椒をたくさんかけた。ただ、父は気になることを付け加えた。

『もしかしたらそれ、ポケベルかな。父さんは持ってないけど、会社の若い連中が連絡を取り合うために使っているのを見たことがある。ポケベルで連絡を取る場合は”4649(よろしく)”みたいな当て字を使う場合と、専用の変換表に習って文章を作る場合があるらしい。母さんが友達に連絡するときに使っているのを見たことがあるから、変換表を後でコピーして送るよ。』

父は左手の人差し指を眉間に当てながら、まるで探偵気取りでそう話した。

武はポケベルの存在は知っていたが、金が無かったので持っていなかった。大学に入ったばかりで友達もいないため、持っていなくても特に不便はなかったのだ。父を駅で見送ると、武は長い長い駅構内を速足で歩いて、近くの家電量販店へ向かった。きっと家電量販店なら変換表くらいあるはずだと思ったからだ。両親には悪いが、コピーが送られてくるのを待っている余裕は武にはなかった。それくらい今はあの暗号を解くことがアパートの秘密に関係しているのではないかと武は考えていた。

家電量販店は息が詰まるような人込みでごった返していた。電話機やポケベルのコーナーに立ち寄ると、すぐに店員が声を掛けてきた。武はポケベルの購入を考えているが、友達からオススメの機種がポケベルの数字で送られてきたので変換表が欲しいと言った。小さなテーブルに案内された武は、店員が持ってきた変換表を見ながら、例の羅列を当てはめてみた。いくつか種類があったが、2つ目の変換表で出てきた文章は武を凍り付かせた。それは次のような文章になった。

  • 127133230452240495(いますぐにげろ)
  • 151581250112(おおやこわい)
  • 3255222403(しのきけん)

『今すぐ逃げろ 大家怖い 死の危険』

武の手はブルブルと震えていた。店員が声を掛けてきているが武には聞こえていなかった。気づくと武は、午後の西日が照り返す熱いアスファルトの道を、全速力で走ってアパートを目指してた。

『やっぱり何かあったんだ!あの先輩学生もタダの夜逃げじゃない!きっとそれを俺に伝えてくれたんだ!今すぐあそこを出なくちゃ!』

武は無我夢中だった。これまで経験したいくつもの出来事と、先輩学生からのメッセージ。そして、近所の噂。アパートに隠された秘密が心霊現象だとしてもそうでなかったとしても、今は一刻も早くアパートから離れることが必要だ。よく考えてみれば入居の時も契約書ではなく念書を書かされた所からおかしかった。あそこに住んでいる人もおかしな人ばかりだし、もう武は精神的にも限界だった。

やっとの思いでアパートについた武は急いで荷物をまとめることにした。眩暈がしそうなほど走ったので立ち止まって息を整えようとした時、アパートの玄関には警察らしき人影が見えた。

恐怖の真相

『住民の方ですか?』警察官から武は呼び止められた。3号室の住民であることを告げると、驚くべき事を聞かされた。警察から聞いた話は次のような内容だった。

実は2号室の赤ん坊が先日の6か月検診で異常所見が見つかった。それは、母親が覚醒剤を使用している場合に出る反応だった。一昨日、警察立会いの下母親の検査を実施したところ、覚醒剤使用の陽性反応が出たため逮捕されたらしい。

しかし、女性の所持品や部屋の中からはそれらしいものが一切見つからなかったため、警察でシングルマザーの女性から事情を聞いていた所、どうやら剣持からもらっていた食事に覚醒剤が入っていたとのことだ。冷蔵庫の中身を調べてみると、他の食品には何も反応が無かったが、大家が持ってきたパックにだけ覚醒剤の反応があり、大家の指紋も検出されたため、大家の剣持も昨日逮捕されたとのこと。

剣持の自供で分かったことは、武の想像を絶するものだった。

事の始まりは剣持の奥さんが亡くなった時に遡る。ギャンブル依存症で多額の借金を残したまま自殺したため、当然債権は剣持が相続することになってしまった。負債を抱えた剣持は持ち家を改築しアパートの経営を始めたが、隣の墓地の影響でなかなか人が入らずに、当時の不動産屋からも手仕舞いされてしまったらしい。途方に暮れた剣持は、ある不動産屋を訪れた。それが棚橋のところだった。

棚橋は表向きは不動産屋だが、実は麻薬の売人で、非合法な仕事の斡旋もしていたらしい。棚橋の提案で、格安の家賃で客引きし、住民に対して覚醒剤を与え、中毒になったところで棚橋に引き継ぎ、覚せい剤を買うために住民に非合法な仕事をさせて金を毟り取る、という構図が完成したのだ。住民を覚醒剤漬けにする為の入り口が剣持の『お裾分け』であり、武は潔癖症気質から全て捨てていたため難を逃れたらしい。

武が夜中に見聞きした墓場の奇怪な現象も、その全容が明らかになった。それは棚橋が住民に覚せい剤を売買している声だったようだ。袋小路になっている墓地には昼間でも殆ど人が来ないし、夜になれば完全に周りの目を遮断できる絶好の受け渡し場所になるからだ。15,000円という格安の家賃に惹かれて入居した住民は覚醒剤によって中毒となり、さらに覚せい剤を求めるようになるがそんな金は無い。そこで棚橋が仕事を紹介することで更に覚醒剤を購入し、棚橋の毒牙と泥沼に嵌っていく。他に住む場所も住める金も無い住民たちは蟻地獄のように棚橋と剣持の思惑に堕ちて行ってしまったという事だった。

『それで、赤ん坊は・・・どうなったんですか?』武はポツリポツリ聞いた。

『母親が覚せい剤を摂取してしまった母乳で育ってますので、将来的には何らかの影響が出るんじゃないかって医者は言ってますね。そもそも母親が覚醒剤中毒になってしまっていますので・・・将来的には可哀そうな未来になりそうですね。』

武はようやくながら、あの住民たちと会話したときの違和感について理解することが出来た。高校の授業で聞いたことがあるが、麻薬中毒者は目の瞳孔が常に開いた状態になり、見る人が見れば分かるらしい。だから以前話した際に異様な感覚を覚えたのだ。棚橋に声を掛けられた時に『元気だな』と言われたのは、武の様子から麻薬中毒者のそれが感じられなかったからだろうと武は考えた。

格安の家賃に惹かれて住み始めたアパートだったが、そこには幽霊や心霊現象よりももっと恐ろしい、現代社会の闇が隠されていたのだ。剣持も住民も『金』という糸に繋がれた操り人形のように覚醒剤という悪魔に囚われてしまった。そう思うと、武は身震いが止まらなかった。やはり、本当に怖いのは幽霊ではなく、人間そのものなのだ。武は強くそう感じた。

『それから、1号室と4号室の方はすでに亡くなっているようなので、周りの方にはご内密に。あとでお話だけ伺えればと思います。』と警察が告げた。

『え、いつのことですか!?』先輩学生が亡くなったと聞かされたので、さすがの武も気になって聞いてみた。

『1号室の方は先週、4号室の方はその2週間くらい前みたいです。仕事先・・・まぁ、その不動産屋に紹介されたヤバい仕事で、過労で亡くなったみたいですね。』

武は悪寒が止まらなかった。学生の方は、残念だがまだわかる。4号室のお婆さんは。3週間前という事は、剣持を神様だと言っていた時よりもっと前だ。じゃあ・・・あのお婆さんは・・・

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